第一則 【達磨不職】 だるまふしき

垂示にいわく、山を隔てて煙を見れば早くも是れが火であると知り (隔山見煙、早知是火)、れんがの塀を隔てて角を見ればすぐに是れが牛であることを知る (隔牆見角、便知是牛)。ひとつを知れば三つを明らかにし (擧一明三) 見ただけで天秤の配分がわかることは (目機銖兩)、是れは禅宗にとっては日常に飲むお茶のようにあたりまえのことです (是衲僧家尋常茶飯)。

世間の常識を断ち切って行き着くところは (至於截斷衆流)、東に湧き出て西に没し (東涌西沒)、たて横が逆であったり素直であったり (逆順縱横)、与えるのも奪うのも自由自在 (與奪自在)。まさにそんなような時 (正當恁麼時)、即座に答えてください (且道)、是れはどんな人の理解したところなのでしょう (是什麼人行履處)。わたしの心の中を覗いてみてください (看取雪竇葛藤看取)。


梁の武帝がだるま大師に質問します、
「聖人にとって一番大切なこととは (聖諦第一義) どんなものでしょうか? 」

だるまいわく 「城の中に聖人はいません (廓然無聖)」

武帝いわく 「わたしの前にいるあなたは誰ですか? (朕對者誰) 」

だるまいわく 「わかりません (不識)。」

武帝はだるま大師を国に迎えいれず (帝不契)。だるまはそのまま長江を渡って魏の国に入ります。武帝はしばらくたった後に志公を呼んでこのことを質問します。

志公いわく 「陛下はだるま大師のことを理解しようとしていないのではないですか? (陛下還識此人否) 」
武帝いわく 「お前の言うことはわからないな (不識)。」
志公いわく 「だるまという人は観音さまのお使いで (此是観音大士)、仏の極意を陛下にお伝えしたのだと思いますが (傳佛心印)。」

武帝は後悔してすぐに使いを遣わし出発させようとすると、志公がいわく「陛下が使いを出発させてだるま大師を連れ戻そうとするのは道にかなったこととはいえません (莫道陛下發使去請)、わが国土の (闔國) 人々みなを連れ戻しにいかせても、大師は戻っては来ないでしょう (佗亦不回)。」

聖諦廓然、何當辨的。
對朕者誰、還云不識。
因茲暗渡江、豈免生荊棘。
闔國人追不再來、
千古萬古空相憶。
休相憶、
清風匝地有何極。

聖人にとって大事なことが城の中とは、なんのことを言っているのでしょう?
武帝が目の前の者にあなたは誰かと聞けば、わからないと答えが返ります。
武帝の理解が暗いことを見て長江をわたり、
どうしていばらが生えることを逃れられるでしょうか?
国中の人が追っても再びやって来ることはなく、
はるかな昔より空という目に見えないものの記憶があるだけです。
それを想いだすことをやめ、
風が地を巡ればどこに落ち着く場所が有るのでしょう?

師顧視左右云、這裏還有祖師麼。 自云、有。 喚來與老僧洗脚。

たとえばあなたの師匠が左右を振り返って言います、
この場所のどこかにそんな祖師さまがいるのだろうか?
さらに自ら言うには、やっぱり居るようだ、と。
そして声を張り上げてこう言います、
さあ、ご老師は来て下さい、
足を洗ってさしあげましょう。

※廓然無聖は辞書には、からりと晴れてこころにわだかまりがないさま、などとありますが、一字一句訳なら「まわりを囲まれたような場所に聖人はいません 」で、不識というなにもわからない意識のときにあらわれる隔絶されたような感覚のことです。

與老洗脚は禅話の定番表現で、真理があらわれるところには必ずだるま禅師が現れるので、そのときは老師の足を洗ってあげてください。

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