【心不可得】 しんふかえ

お釈迦さまはこう言いました(釋牟尼佛言)、

過去を感じる心は得られず、現在を感じる心も得られず、
未来を感じる心も得られません。
(過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。)(注1)

これがお釈迦さまの行きついた考えで、不可得という言葉は、過去現在未來を閉じ込めるために洞窟や籠を持って来たようなもの。とは言っても、それは自分の中に最初からある籠を持って来たということです(注2)。いわゆる自分の中(自家)と言うのは、心を得ることができない状態があり、そのため今ここで思量分別していても、心を得ることができないものはあります。一日二十四時間全身にあらわれるもの、これが心を得ることができないというものです(注3)。仏と呼ばれるものがやって来れば、心を得ることができないことがなにかを理解し、いまだ仏がやってこないのならば、心を得ることができないものに(それがなにか)聞くこともありません(注4)。道もわからないし、見聞することもありません。経典講釈師や学者の連中、まだ入り口にいるような連中は(聲聞覺のたぐひ)、まだ夢を見ていてそれを見てはいないのです(注5.夢也未見在なり)。

(注1) 金剛般若経のようです (注2) 洞窟や籠は認識しゃ断の一般的な表現で、囲まれ感をあらわします (注3) 心不可得はここでは通常の心が得られない、ですが、なにも得られない状態の心のこと、としてもよいです (注4) 心不可得は仏そのもののことです (注5) 未夢見在は夢を見ていない状態で、これも仏です。夢也未見在はその反対ことばになるようですね

そのあらわれた話は近くにあり、いはゆる徳山宣鑑禅師が、そのころ金剛般若經を完全に理解したと自分で称していて、または自分で周金剛王などと名乗っていました。とくに龍疏と呼ばれる注釈を得意と言っていて、さらに十二かつぎもの書籍を撰集していて、肩を並べる講釈師は他にいないという勢いです。そうであっても文字解釈の坊さんの流れの人です(注6)。あるとき、南方に代々相承されたこの上ない仏法があると聞いて、腹立ちまぎれに我慢できず、経典の注釈書を抱えて山や川を渡りそこへ向かいます。たまたまそこに龍潭の信禅師という寺があると聞き、そこで議論してみたいと向かいますが、その途中で休憩をしていると、そこに老婆がやって来て、徳山よりも路の側に休憩します。これを見た徳山は老婆に聞きます 「あなたはなにをしている人ですか? 」

老婆は言います「わたしは餅を買ってきた、ただの老婆だよ 」
徳山は言います 「わたしのために餅を売って貰えませんか? 」
婆 「和尚は餅を買ってどうするのかね? 」
徳山 「餅を買っておやつに(點心)しようかと」(注7)
婆 「和尚がそこに持っているものはなにかね? 」
徳山 「あなたは知らないでしょうけど、わたしは自分のことを周金剛王と言っていて、金剛經の解釈が得意なんですよ。解らないところはまずなくて、わたしがいま携えているのは、金剛經の解釈本です 」

徳山がそういうのを聞いて、老婆が言います 「この老婆に一つ質問があるけれど、和尚はこれを許すかどうか? 」
徳山 「許しますよ、あなたの心のままに質問してください 」
婆 「わたしが以前に金剛經を聞いたときにはこう言っていて、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得とありました。いまこのうちどの心で、その餅をこころに食べさせる(點ぜん)のでしょうか? 和尚がもし道にかなった答えをできれば、餅を売るけど、和尚がもし道にかなった答えをできないならば、餅は売らないよ 」

徳山はこれを聞いて茫然としてしまい、なにも答えることができません(注8)。老婆はすぐに袖をさっと払って行ってしまい、結局餅を徳山には売りませんでした。

(注6) 経典講釈師は、現代なら仏教学者でしょうか。臨済和尚もはじめはこの経倫師と呼ばれる学者からはじまった人で、この経歴を持つ人の特徴として、ぼう大なボキャブラリーの説法が特徴になったりします (注7) 点心と心不可得のひっかけになってます。どうも創作の作り話のようです (注8) 徳山和尚十八番の見え透いたお芝居のようですが、道元さんは実話と思ってるんでしょうか?

恨むべきでしょうか、数百軸もあるお釈迦さまの言葉、数十年にもわたる勉強の講釈師が、たかがよれよれの婆さんの一つの質問を受けただけで、あっという間に負け犬のようになってしまい、答えを見つけられないこと。正師を見ただけなのと正師について正しく教えを受け継ぐのと、正法を聞いたことがあるのと、いまだ正法を聞かないし正法を見たことがないのは、かなりな違いがありそのために、こうなるもののようです。

徳山はこのときはじめて言います、絵に描いた餅で、飢えをしのぐことはできないと。 いまは龍潭和尚の法を継いでいると称しています。

つらつらこの老婆と徳山との問答の意味を考えれば、徳山がこれ以前にわかったと思うことは、この話にあるようなことで(答えられない程度でしかない)。龍潭和尚に出会った後も、なお老婆を恐れることでしょう。このことは勉強を始めてから後で気がついたようなもので、証明の必要もない古仏というわけでもなく、老婆がそのとき徳山の口をふさいだとしても、本当にその古仏だっかはよくわかりません。その理由は、心不可得の言葉を聞いて、心は得られないし、心はあるはずがないからとだけ思って、こんなように質問したのかもしれません。徳山がもしよくわかった人ならば、老婆の意図を見破る力をあらわし、すでに見破っているのならば、その老婆が本物の古仏のような人である道理もあらわれたことでしょう。徳山がいまだ(後の)徳山でないのならば、老婆が古仏であるかどうかもいまだわからないということです。(注9)

(注9) 坊さんにインネンをつけるなぞのお婆さんは、趙州和尚がその力量を見破った話とか、臨済和尚が婆さんをすかさず打つ話とかありますけど、禅宗はこういうネタがお好きみたいですね

現在の南宋にいる禅僧たちは、よくわからないまま徳山が答えられないことを笑い、老婆のふしぎな鋭さ(靈利)を誉めているのは、やや頼りないし、おろかなことです。そのわけは、老婆を疑ってみる理由もないわけではなく、いはゆるその時はまだ徳山は道を得てはいないので、老婆はなぜ徳山に向かって、和尚はまだ道がなにかわかっていないと言わないのか。さらに老婆に聞きたいのは、老婆は逆に徳山和尚のために(道について)なにか言うべきです。(注10)

もしこのように言えば、徳山もまた質問を返し、徳山に向かって道とはこういうものであると言うならば、老婆こそほんものの古仏のような人であることがわかったでしょうに。徳山がたとえなにか問うことができたとしても、いまだ道に至っていないし、むかしからいまだ一語も道について理解していないのに古仏その人であると言う言い方はあり得ません。無駄に自分が道を理解した人であると自称しても、結局はこの徳山のようになるだけなのです。いまだ道がどこにあるか解らないものに厳しくあたるのは、この老婆の様子を見て知ることでしょう。 ためしにわたくし道元が徳山のかわりに言うとすれば老婆がまさにそのように質問するならば、、徳山は老婆に向かってこう言うべきで、「それなら餅を買うのもやめましょう (恁麼則莫與吾賣餠) 」と。もし徳山がこのように言うことができれば、良くできた答えとなることでしょう。(注10)

老婆にもし徳山が逆に質問したとして 「現在心不可得、過去心不可得、未來心不可得。いま餅をどの心に食べさせるのか? 」

こんなように聞いてみたら、老婆は徳山に向かって言うべきで 和尚はただ餅の心を食べることはできないとだけ知っていて、心の餅を食べることを知らないし、心を心にそなへて食べさせるようなことも知らないのです 」(注11)

このように言えば徳山はきっと固まってしまい、まさにその時、もちひ三枚を徳山に手渡しすべきです。徳山がそれを手にとろうとしたまさにその時、老婆は言うべきで 「過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得 」と。(注12)

もしまた徳山がその伸ばす手を躊躇するならば、餠を手に持ってそれで徳山を打って言うべきで 「それでは魂のない屍、ぼーっとしていてはいけません (無魂屍子、莫茫然) 」と。(注13)

このように言ったとして、徳山はなにか言うことがあれば良いのですが、もしなにも言うことがないのなら、老婆はさらに徳山のために言うべきです。ただ袖を打ち払って去ることは、袖の中に蜂がいるとも思われず(痛烈な皮肉がある)。徳山も自分は言うことができないし、老婆も自分のためになにか言ってくださいとも言いません。そうであれば、言うべきときに言わないだけでなく、質問すべき時にも質問することができない、同情すべきことなのです。

老婆と徳山の、過去心、未來心、現在心、を質問したり道を探ったりすることは、未來の心がまだ得られないということだけです。(注14)

(注10) なにも言わないとか、なにも答えられない、という徳山和尚お得意の手口ですが、それではダメダメと否定する道元さんです (注11) 道元さんがお好きな絵に画いた餅理論のようです (注12) この手渡す瞬間に不意打ちをして相手を打つのは、唐代にも伝わる一般的な手法です (注13) 相手が出てこなければ、こちらから誘います (注14) 同時代で南宋禅の無門和尚は、前後を切り離せと言ってますから、現在心・・不可得、のように何か得ることが出来ない状態に意味があるようです

おおよそ徳山はそれより後も、さしたるアイデアがあるようにも見えないし、ただ粗雑なふるまいが伝わるのみです。もし長いあいだ龍潭和尚を訪ねて教えを請わなければ、頭に生えた龍の角が折れることもなかったでしょうし、龍の首の玉を正しく伝えられるチャンスもなかったでしょう。わずかにローソクの消えた後の闇を見る(吹滅紙燭)だけでは、仏の明かりを伝えるには不足なのです。(注15)

そうであれば修行にやってくる雲水は、かならず学ぶことに励まなくてはいけないし、カンタンにわかるものは仏ではないし、学ぶことに励めばそれが仏です。おおざっぱに言えば心不可得というのは、絵に描いた餅一枚を手に入れて、一口で噛み砕くことを言います。(注16)

正法眼藏第八

爾時仁治二年辛丑夏安居于雍州宇治郡觀音導利興聖寶林寺示衆 (このとき1241年かのとうしの年、夏休みに京都宇治にある宝林寺にてみなのものに示します)


(注15) 紙燭吹滅のローソクが消えた後の闇は、それだけで座禅と似たような効果があると思いますが、道元さんはこのような一発芸的な手法をかなりキラいますね (注16) イメージの破棄というのは南宋禅の主要なテーマでもありますが、絵の画いてあるコピー紙をシュレッダーで粉々にする感じでしょうか

(まりはうすもひとこと) 道元さんの徳山批判ですけれど、同じように南宋の臨済宗がやっている黙行もかなり批判しています。これは見た目でわかりやすい黙行と座禅行が、対立する商売がたきみたいな位置関係にあるのかな、と推理してますが・・。




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