【身心學道】 しんじんがくどう

仏道というものは、道でない場所を注目しても得られることはないし、勉強しなければ遠くに転がっていってしまいます (轉遠なり)。 南嶽和尚が言うには、ほとけの証拠 (修證) がないというわけではなく、それはなにかに染まったり汚れたりすることがありません (注1)。 仏道を学ばなければ、それはすなわちただのカン違いや俗物の低いレベルにとどまることです (注2. 外道闡提等の道に墮在す)。このために、むかしの理解した人やこれから理解するであろう人たち (前佛後佛) はかならず仏道を修行するものなのです (注3)。

(注1) 禅宗七世にあたりますが、この人の代で禅思想は六世慧能から南嶽と青原の二系統に枝分かれして華開くことになります (注2) この仏道の意味は儀式の形式や文献の正統性や相承の有無などではなくて、南宋スタイルにのっとった修行法のことです (注3) この仏道も正しい行法のやり方という意味を示しているようです

仏道を学び習うためには、とりあえず (しばらく) ふたつのことがあり、いわゆる心を使って学び、身体をつかって学ぶというものです。 心を使って学ぶのは、あらゆる緒の心のはたらきを使って学ぶことで、その緒々の心のはたらきというのは、俗物なはたらきであり (質多心)、こころの本体であり (汗栗駄心)、ほとけの目で見ること (矣栗駄心) であったりします。また、ほとけの有り様を直感して (感應道交)、ほとけという存在を敬うこころを (菩提心を) 起こしたその後に、お釈迦さまの示したやりかたに従うと心に決め (佛祖の大道に歸依し)、その敬うこころを表わすためのしきたりのようなものを (發菩提心の行李) 学びます。たとえいまだ真実にほとけを慕うこころが (菩提心) 起こっていなくとも、すでにそれを理解した人のやり方を (さきに菩提心ををおこせりし佛の法を) 習います。これがほとけを信じるこころのあらわれであり (發菩提心)、こころの本体のかけらであり (赤心片片) 、昔からあるほとけのあらわれた姿であり (古佛心) 、ふだんの心とも言い (平常心)、欲界・色界・無色界をつら抜くひとつの意識であるとも言えます (三界一心)。(注4)

(注4) 習うより慣れろ、まずはカタチから入る、という道元さん的な修行育成システムの片鱗がうかがえますが、ほとけの存在が信じらたら、あとはあらゆるものを利用して実践しましょう、という感じでしょうか

これらの心を投げ捨てて (放下して) 学ぶやり方もあり、説法を聞いて質問しながら学ぶ方法もあります (注5. 拈擧して學道するあり)。このとき、あれこれ思いながら学ぶ方法があり、なにも思わず学ぶやりかたもあります(注6)。あるいはお釈迦さまの法衣を正しく受け継ぎ (注7. 金襴衣を正傳し)、迦葉はそれをうやうやしくいただきます (注7. 金襴衣を稟受す)。あるいはだるま大師の教えの核心を手に入れることは (注8. 汝得吾髓あり)、二祖慧可がだるまに三度礼拝したあとにそのものを示して見せたようなことなのです (注9. 三拜依位而立) 。六祖慧能は米つきを仕事としながら師匠の法衣を受け継ぎ (注10. 碓米傳衣)、こころを使いながらその心を学びます (注11. 以心學心)。髪を剃り衣を墨で染めるのは、すなはちこころをひっくり返すことであり (囘心)、ほとけがあるとはっきりわかることです (注12. 明心)。お釈迦さまは王族の暮らしを捨て修行の山に籠もります (注13. 踰城し入山する)、城を出るのも山に入るのもそのひとつのこころのあらわれであり (注14. 出一心、入一心なり)。修行の立場で言えばなにも思わないことを思うことで (山の所入なる、思量箇不思量底なり)、世間ではあまり役に立たないなにも考えないということなのです (世の所捨なる、非思量なり)。この感覚を目玉の奥に丸く固めれば二三升ほどの大きさにもなり (注15. 眼睛に團じきたること二三斛)、このこころのようなものが日常の意識に断片として現われることは千万回にも及びます (注16. 業識に弄しきたること千萬端なり)。このようにしてそれを学べば (學道)、努力に対してその結果がやってきます (有功に賞おのづからきたり)、修行が足りなくてはっきりとわかる結果にまだ至らなかったとしても (有賞に功いまだいたらざれども)、それは気づかないうちにお釈迦さまの感覚をつかい鼻の穴からすでに出ているもので (注17. ひそかに佛祖の鼻孔をかりて出氣せしめ)、ロバがそのひずめを少しひねって曲げたような感じとしても説明され (注18. 驢馬の脚蹄を拈じて印證せしむる)、すなはちこれらは昔から繰り返し伝わっているいろいろな言い方というようなものなのです (萬古の榜樣なり)。

(注5) 法華経にある霊鷲山の法会で、お釈迦さまが大衆に向けて花を差し出してひねって見せた話  (注6) 薬山和尚が示した、なにも思わない行き着いたその先の場所、不思量底  (注7) お釈迦さまは金色に輝いているので、迦葉はその輝きとしての教えを伝授されたという感じの比喩表現  (注8) だるまが後継者としての二祖を評価した言葉  (注9) 依位とはほとけの場所、而立はすでに慧可がその場所に立っているという意味  (注10) 六祖慧能は無学なきこりでしたが、仏道の道をこころざし、五祖弘忍の黄梅山で台所の下働きとして修行をはじめます (注11) お釈迦さまと迦葉の以心伝心に引っ掛けているようです (注12) 信仰という言葉の持つもうひとつの意味は、何かを無条件に拝むことではなく、世界を存在させる本質があると確信することです (注13) 踰城は超城ですが、これはお釈迦さまが妻子と王国を捨てた話を示す定番表現 (注14) 注12の明心と同じ (注15) ひとかたまりの意識という表現がよく使われます (注16) ほとけは日常のなかで断片的につねにあらわれています (注17) 吐く息にほとけがあらわれます (注18) ロバがひずめをそっと地面に触れるしぐさのこと

いつでもある山や川や大地や太陽や月や夜空の星々といったもの (しばらく山河大地日月星辰)、これこそが心なのです。これらがそこにあるときは (正當恁麼時)、どんな仕組みなのか目の前に現れています (いかなる保任か現前する)。山河大地といいうものは、山河といえばたとえば山水です。大地というものもここだけにあるわけでなく、山もたくさんあり、大しゅみ山や小しゅみ山があり (大須彌小須彌)。横に寝ているようなものもあり (處せるあり)、縦に立ち上がったようなものもあります (豎に處せるあり)。三千世界にそれぞれあり、無数の国にもそれはあります (無量國あり)。美しい風景のなかにあったり (色にかかるあり)、空に突き抜けたようなものもあり。山だけでなく河なども同じようにさらにいろいろなものがあります (おほかるべし)、天にかかる河があり、地に流れる河があり、四大河川というものもあり、世界の中心にあって、あのくだち龍神がすむ水源の池もあり (無熱池あり、北倶廬州には四阿耨達池あり)、海があり、池があります。地はかならずしも土だけでできてはいないし、土がかならずしも地のすべてということでもありません。現実的な土地という言い方もあるし、心の中の場所 (心地) もあります、宝物のある土地 (寶地) もあります。さまざまな様子があるといえども (萬般なりといふとも)、地面がなくなってしまうことはないので (地なかるべからず)、空っぽと現実に大地がある世界というように分けることもできます (空と地とせる世界もあるべきなり)。太陽や月や星と星座 (日月星辰) などは人によって見方が違い (人天の所見不同あるべし)、みんながいろいろなことを言います (緒類の所見おなじからず)。

そんなようなことのために (恁麼なるがゆゑに)、そのひとつのこころで見たありかたは (一心の所見)、これはすべて同じものになります (一齊なるなり)。これらのものがすでに心であり。内なるものでしょうか、外なるものでしょうか。来るものでしょうか、去るものでしょうか。生きているときは入り口のようなものがあるのでしょうか (生時は一點を檜ずるか)、そうではないのでしょうか (檜ぜざるか)。死んだらそのボンヤリとした感じはなくなるのでしょうか (死には一塵をさるか)、なくならないのでしょうか。この生死のあり方と生死を観察して考えるとき (生死および生死の見)、どちらがそうだとするのでしょうか (いづれのところにかおかんとかする)。行ったりきたりは (向來) ただこれは心に起こるひとつの思いでありふたつの思いです (一念二念)。一念二念は一つの山河大地であり、二つの山河大地です。山河大地といったものたちは、これは有りでも無くでもないし大小でもなく、得たり得られなかったりということもなく、わかったりわからなかったり (識不識) ということもなく、感じたり感じられない (通不通) ということでもなく、悟ったり悟らなかったりという変化もありません (變ぜず)。(注20)

(注20) 対象概念がなくなる状態を 「一心の所見」 と呼ぶようで、般若心経的な表現も連発されてます

このような意味のこころを使い (かくのごとくの心)、自分からほとけを学ぶことに習い慣れることを (みづから學道することを慣習するを)、心學道という名前に決めてそれを信じ受け入れます (決定信受すべし)。この信じて受け入れたもの、それは大小でも有無でもありません。いまの仏教の専門家や素人 (知家非家)、家出した人や坊さん (捨家出家) が仏を学ぶのに (學道)、それは大小という量ではなく、遠近という量でもありません。鼻のつけねでもあたまでもなく (注21. 鼻祖鼻末にあまる)、レベルの上下でもありません (注21. 向上向下にあまる)。すみずみまでわかり (注22. 展事あり)、それ以上にわかり (注23. 七尺八尺なり)。その瞬間を捕まえ (投機あり)、自他の区別がなく (注24. 爲自爲他なり)。そのようなことを、すなわちほとけを学ぶ (學道) といいます。ほとけを学ぶこととは (學道) はそのようなものであるために、垣根や壁がコワれてガレキとなり (注25. 牆壁瓦礫)、 これが心なのです。さらに欲界・色界・無色界を貫くこころではなく (注26. 三界唯心にあらず)、ほとけの世界にある心でもなく (注26. 法界唯心にあらず)、垣根と壁がガレキとなれば (牆壁瓦礫なり)。唐代は咸通のころより前にできあがり、咸通のころから後には否定され (注27. やぶる)、田んぼの泥とたまり水の中を歩き (注28. 泥滯水なり)、縄がないのに縛られているとカン違いし (注28. 無繩自縛なり)。玉をひく目に見えないちからがあり、水にふしぎな能力があり、ギモンの解決する日があり (とくる日)、粉々になってしまい (注29. くだくる)、極めてかすかないきついたところがあります (注29. 極微のきはまる時あり)。みちばたの棒杭とおなじ場所にはいないし (注30. 露柱と同參せず)、手に持った灯ろうと同時に見えることはありません (注31. 燈籠と交肩せず)。このようなことなので足を血だらけにして走り (赤脚走) 仏の道を学びます (學道するなり)、ダレがこの眼を身につけて見ているのでしょう (注32. たれか著眼看せん)。ふり向いてとんぼ返りをして (注33. 翻筋斗) ほとけを学び、それぞれが自分に従って去る場所があるのです (おのおの隨他去あり)。このとき、壁はくずれ落ちこの十方世界のあり方を学ぶでしょう、門が無いこと (無門) これは自分の四方を学ぶことになります。(注34)

(注21) 鼻のアタマに集中するとか、仏向上・仏向下とかの良く使われる表現の否定、決まりパターンではなく、もう少しビミョーな感じを言いたいようです (注22) それがわかれば見通しがきくようになります (注23) やったこと以上に成果があがること、七穿八穴とも (注24) その感覚があらわれた瞬間をつかまえれば、自他の区別が消え去っていることにも気づくでしょう (注25) 外側の壁をコワしてカラッポになった中身がほとけです (注26) 三界や法界はやや言葉に偏った表現という意味での否定 (注27) 咸通と呼ばれる年代は西暦860年〜874年で唐代の末期にあたり、臨済和尚やその他多くの才能あふれる坊さんたちによって、禅思想が頂点を極めた時代です (注28) 一般人がふつーに意識する俗物な感覚は人の行動をしばりジャマをするだけです (注29) 隋の時代の天台大師が書いた摩訶止観には粉然競起という表現が出てきます (注30) 臨済録にある話で、露柱と名前をつけると仏が消えてしまいます (注31) 灯りの向こう側にある闇がほとけです (注32) ほとけの一隻眼で、ひたいの中央にある感覚です (注33) 臨済和尚の協力者であった普化和尚のこと、とんぼ返りが得意だっそうです (注34) 隨他去はこころの本体で仏とも呼ばれる場所、十方は八方位に壁をたてさらに天と地にもフタをした状態で、入り口がないために無門とも言われます

ほとけを敬うこころのあらわれは (注35. 發菩提心)、あるいは生き死にの場面でこれを理解することがあり (うることあり)、あるいはこころが静まった状態のときに (涅槃にして) これを手にいれることもあります (うることあり)、あるいは生死やこころの静まった涅槃のほかにもこれがわかる (うる) こともあり。その状態がやって来るのを (ところを) 待っていないわけではないけれども (まつにあらざれども)、そのこころが起こったときに気がつかなかったりすることもあります (注36. 發心のところにさへられざるあり)。五感によるわけではなく (境發にあらず)、あたまのリクツでわかるわけではなく (智發にあらず)、ほとけを敬うことがそのこころを起こし (菩提心發なり)、これをほとけを敬うこころのあらわれと呼ぶのです (發菩提心)。そのほとけを思うこころの様子というのは (發菩提心は)、有るものではなく無いものでもなく、善でもなければ悪でもなく、説明できないもの (無記) でもなく。大地から生まれるものでもなく (報地によりて起するにあらず)、自然に決まっていて (天有はさだめて) 得られないものというわけでもありません (注36. うべからざるにあらず)。ただまさにそのときとともに (注37. 時節) そのこころも (發菩提心) あらわれます。

(注35) ほとけと呼ばれるナゾの存在があることを確信します (注36) 意外と目の前にあったりします (注37) 意識の流れの中のあるタイミングで常にあらわれています、あとはそれに気ずくだけ、というのが修行と呼ばれるものの本質でしょうけど・・

なにごとにも依りかからないので (注38. 依にかかはれざるがゆゑに)。ほとけを思うこころが (發菩提心) あらわれたまさにその時 (正當恁麼時)、その感覚世界は (法界) ことごとくほとけの感覚そのものとなります (發菩提心なり)。なにか別のものに依りかかった状態に変化しただけとも言えますが (注39. 依を轉ずるに相似なりといへども)、依存している状態ではありません (注39. 依にしらるるにあらず)。いっしょにあらわれる一本の片手であり (注40. 共出一隻手)、内面から出て来る一本の片手です (注40. 自出一隻手)、ほとけの感覚で世間を生きることであり (注41. 異類中行)。たとえ地獄や餓鬼や畜生や修羅といったものたちの中にいてもほとけを思うこころを起こすことができるのです (發菩提心するなり)。

(注38) ふだんはまわりの環境世界の情報や、自分のアタマのなかのイメージに囚われていますが、ほとけがあらわれるときには情報やイメージが遮断され囚われていない状態になるという意味 (注39) すべてのイメージが遮断されているはずですが、いま仏を意識しているという感覚のみがあり、このぶぶんの囚われだけ残った状態で、免責処分の例外あつかいのようなものとでも言えばよいでしょうか (注40) 白隠和尚で有名な隻手の声、片手でなにもない空中をはたくと無音ですがそのときに聞こえる 「声」 とはなにか? という質問、こちらは江戸時代ではなく鎌倉で少し古く、さらにそれ以前の北宋あたりの禅話にも見られる話です (注41) お釈迦さまの中道とほぼ同じ、なにものにも依存しないこころの状態のこと、依報に対する正報という表現もあります

本来のこころはカケラになっているという言い方は (注42. 赤心片片といふは)、その断片がもともとの心ということです (片片なるはみな赤心なり)。一片や二片というわけでなく、カケラが連なっています (片片なるなり)。ハスの葉っぱが集まってかさなるようすは鏡に映ったようであり (荷葉團團團似鏡)、菱の尖った葉先が連なるようすはキリのようです(菱角尖尖尖似錐似)。 かがみの鏡像のようであってもそれは断片の集まりであり (片片なり)、錐が並んでいるようでもそれもまた断片のあつまりです (片片なり)。

(注42) 人のこころは認識されたパーツの寄せ集めである、という言い方は現成公案にも音と映像を別々に認識しているというような表現があります

古くからあるほとけのこころというのは (古佛心)、むかしある僧が大證國師に質問し、「古いほとけのこころとはどんな様子なのでしょう? (いかにあらむかこれ古佛心)」 といったときに國師は言います、「敷地のさかいの壁がガレキになってしまった (注43. 牆壁瓦礫) 」 そんな事情であればわかるはずで、古いほとけのこころは壁が崩れてガレキになったものではなく (牆壁瓦礫) 、壁のガレキが (牆壁瓦礫) 古いほとけの心と言うわけでもありません、古い仏のこころとはそんなように理解する (學する) ものなのです。

(注43) 壊れてガレキになってしまった敷地の境目を囲う壁ですが、これはモチロン知識やしがみついている概念イメージのことで、それらをすべて捨て去らなくてはいけません、結局行き着くところはある種の感覚にすぎないわけで、最後のぶぶんは単なる言葉としての牆壁瓦礫や古佛心にしがみつかないようにと、念を押しているところです

平常心というものは、此の世界や他の世界という区別を言わずに、変わらない心がただあるだけです (注44. 平常心なり)。過ぎ去った過去の日々は (昔日は) この変わらない心の場所から去ったところにあり、いまこのときは (こんにちは) この変わらないこころの場所からやってきます。この平常心が去るときは浮わついたこころの状態であり (さるときは漫天さり)、来る時は世界が消え去った感覚としてやってきます (きたるときは盡地きたる)。これを変わらない心と言います (平常心なり)。変わらない心というのは (平常心) この自分の家の内側に入り口が開いていて (注45. 屋裡に開門す)、千の門や万の扉が一瞬にして開け閉めされているので (注45. 千門萬戸一時開閉なるゆゑに) かわっていないように思えます (平常なり)。いまこの天と地にフタをされた状態は (注46. 蓋天蓋地は)、まだ言葉を覚えていないときのようだし (注47. おぼえざることばのごとし)、山の噴火の一撃音ようでもあり (注48. 噴地の一聲のごとし)。言葉と同じ働きがあり (注49. 語等なり)、こころと同じはたらきがあり (注49. 心等なり)、仏などともおなじものです (注49. 法等なり)。人の意識の流れの一瞬に (注50. 壽行生滅の刹那に) あらわれたり消えたりするものだけれど (注50. 生滅するあれども)、それを知った後のことはまだわからないことなのです (最後身よりさきはかつてしらず)。わからないとはいえ、そのこころが起きれば (注51. 發心すれば)、かならずほとけの (菩提) 道にすすむことになります。すでにこの場所があり、それ以上ギモンに思う必要もなく (さらにあやしむべきにあらず)。すでにその不思議さに気づいているなら (あやしむことあり)、すなはちそれが変わらない心なのです (平常なり)。

(注44) ふつーのこころではなく、無や空と呼ばれるものと同じで、ボンヤリとして頭になにも浮かばない状態がチカイです (注45) 自分の意識の中にしかそれは存在していなくて、スイッチのように断続的に点滅しています (注47) それは言葉を使わない意識状態のときにあらわれます (注48) オドロいたときに頭の中は真っ白です (注49) 言葉はないけれど言葉のようなはたらきがあり、分別も判断もしないけれどこころとおなじように行動でき、仏典などに書かれているものはすべてこの感覚について記述されたものです (注50) 注45と同じ、パトカーの赤色灯のように点滅しています (注51) 信じて努力すればきっとその不思議なものにめぐり合うことでしょう、でもそれはあなたの頭の中にしかないので、健康や金銭的成功の功徳をうたったり、守護霊や先祖供養のおかげで幸せになれるたぐいの話とは少しちがうもののようです

からだを使ってその道を学ぶことは (身學道といふは)、言葉どおりのことです (注52. 身にて學道するなり)。赤い肉のかたまりの上で道を学びます (注53. 赤肉團の學道なり)。そのからだの感覚は道を学ぶことによりやって来て (身は學道よりきたり)、道を学ぶことによりやってくるものは (學道よりきたれるは)、それもまたこの感覚なのです (ともに身なり)。八方位と天地が消え去れば (注54. 盡十方界) これが人の真実の本体とも言え (是箇眞實人體なり)、生と死が行き来しているのもその真実の人の本体に起こるできごとであり (生死去來眞實人體なり)。このふしぎなからだを活用して (この身體をめぐらして)、十の悪業にとらわれず (はなれ)、八つの戒律を保ち、ほとけの存在とそのはたらきが坊さんによって正しく伝えられていると信じ (三寶に歸依)、家を捨て修行の道に入ります (捨家出家)、これが正しい道を学ぶやり方であり (眞實の學道)、こんなやり方のために真のからだという言い方をします (眞實人體といふ)。あとになれば (後學) かならず自己流の仏教でないもの (注55. 自然見の外道) とは同じではないとわかるでしょう (同ずることなかれ)。

(注52) 身という意味は、あたまや身体に起こるいろんな感覚に注意しなさいということのようです (注53) 臨済和尚で有名な赤肉団上の一無位の真人、唐代末期は戦乱の時代、傷口の赤い肉が開いた死体もごろごろあったようで、その肉のカタマリの上で無感想に世界を認識している本体とはナニモノか? という質問です (注54) イメージとしては電話ボックスのなかに居るようなもの(注55) 仏教は修行のための行法体系をほとんど集めてしまっているので、逆に仏教にさからった自己流でやるとどうしても一般俗物常識に流れがちですよ、という警告のようなもの

百丈大智禅師は言います、もし自分こそがこのほとけというものであり俗物な自分を抜け出し清浄な気分になり (若執本清淨本解脱自是佛)、自分が禅の道も理解できたと思えば (自是禪道解者)、これは自己流の仏教ではないものと断言できるでしょう (注56. 即屬自然外道)。 これらはヒマ人のオモチャではなく (閑家の破具にあらず)、道をまなぶことを長年積み重ねた結果であり (學道の積功累徳なり)。さらに一歩をすすめて覚めていながらボンヤリとして世界を見ている状態なのです (注57. 跳して玲瓏八面なり)、自分を抜け出せば (脱落して) 大樹に巻き付く藤のつるが見え (注58. 如藤倚樹なり)。あるいはこの身が現われ智慧を得ることでほとけのはたらきを説明し (注59. 或現此身得度而爲説法)、あるいは他のものが現われ智慧を得ることでほとけのはたらきを説き明かし (注59. 或現他身得度而爲説法)、あるいはこの身もあらわれず他のものも・・・ (注59. 或不現此身得度而爲説法、或不現他身得度而爲説法)、さらにはほとけのはたらきがなにかを説明できないこともあります (注60. 乃至不爲説法)。 そういうことなのでからだの感覚をすてれば (注61. 棄身) ほとけの声が聞こえ響いていた音が止みます (注62. 揚聲止響)、いのちという思い込みを捨てれば (捨命) 身体を真っ二つに断ちきりほとけの教えの真髄を得ることができ (斷腸得髓)。たとへ大音声で知られた威音王よりも先に思い立って道を学び始めたとしても (發足學道)、なほそれでも自分がその後継者となってその教えを伝えるのです (注63. 兒孫として長するなり)。

(注56) 清浄という感覚は、穢れたものという対立概念を生み出すので、そこが少しモンダイなようです (注57) クールでボンヤリ (注58) なにかにもたれかかった様子、仏教に言う因や依の文字は人の認識機能がロックオンされた状態をいうようです (注59) いろいろな感覚からほとけを推理し (注60) ほとけとは無縁の感覚もあるので注意します (注61) こちらは通常の五感のこと、身学道は意識のなかにあらわれた感覚を観察することで、天台止観とも同じもののようですね (注62) 仕事中はセミの声やクルマの騒音が聞こえません、それはなぜか? というカンジ (注63) 離衰国の威音王は大音声で知られた王様、彼の死後二百億万という無数の威音王がこの世にあらわれたそうですが、これはすべての人々が仏の感覚を共有しているというたとえ話です

十方の世界が尽きてしまうというのは (注64. 盡十方世界)、十の方角がことごとく世界の尽きた場所ということです (十方面ともに盡界なり)。東西南北だけでなく北西・南西・南東・北東や (四維) さらには天と地をも合わせて (上下を) 十方と言い、それらのあれこれを (表裏縱横) 極めつくした瞬間 (究盡なる時節) を思量すべきです。思量するというのは、ひとのからだは (人體) たとへ自分と他のものに分かれているように見えるけれど (注65.礙せらるといふとも)、周囲がすべて尽きてしまった (盡十方なり) ものとして観察し (と諦觀し)、そうであるに違いないと決めてしまいます (決定するなり)。これはまだ聞いたことのないものを聞くことであり (未曾聞をきくなり)。均一でもあり (注66.方等なるゆゑに)、境目もあいまいです (注66.界等なるゆゑに)。人のからだはいろいろな要素でできていますが (人體は四大五蘊なり)、その巨大な砂塵は (注67.大塵) 凡人が理解できるものではなく (ともに凡夫の究盡するところにあらず)、聖者がたずね探すようなものです (參究)。またはその舞い上がった砂塵の中に居て (注67.一塵に) 周囲の世界を観察すべきで (十方を諦觀すべし)、周囲の世界はその砂塵のなかには含まれず (注68.十方は一塵に嚢括するにあらず)。あるいは砂塵の中にほとけの居る社殿をみることができ (一塵に堂佛殿を建立し)、あるいはほとけの居る社殿に (堂佛殿に)、世界の尽きたようすをみることができます (盡界を建立せり)。こうしてそれを見ることができ (建立せり)、それを見るためにはこのようなやり方をします (注69.建立これよりなれり)。

(注64) 周囲の世界は認識しないときには消え去っています (注65) 自分と他のものを分ける境目は自分が線を引いているだけで、認識しなければその線も消えてしまいます (注66) コーヒーとクリームの関係、均一に混ざったあいまいな状態です (注67) 砂塵はボンヤリ感のこと (注68) ボンヤリとしている時周囲の世界は消え去っています (注69) これがほとけ世界に入る入り口です

そのようなリクツですが (恁麼の道理)、すなはちそれが周囲の世界がすべて尽きて真実の人の本体があらわれることなのです (注70. 盡十方界眞實人體)。自己流やもともと知っているカン違い (注71.自然天然の邪見) に見習ってはだめで、器の中の分量ではないので広い狭いはありません (界量にあらざれば廣狹にあらず)。その周囲の世界が尽きたようすは (盡十方界) は八万四千の説法のもとになる真髄であり (注72.蘊なり)、八万四千ものそれにひたった感覚であり (注72.三昧)、八万四千の呪文であり (注72.陀羅尼)。八万四千もの説法の真髄は (蘊)、これは世界を動かす車輪が回っているようすであり (轉法輪なるがゆゑに)、その車輪がころがって行き着く先は (法輪の轉處は)、たがいに照らしあう世界であり (注73.亙界なり)、たがいに照らしあう時のながれです (注73.亙時なり)。しっかりとした場所がないわけではなく (方域なきにあらず)、真実の人の本体です (眞實人體なり)。いまのあなた、いまのわたし、それが世界の尽きた場所にいる真の人の本体なのです (注74.盡十方界眞實人體なる人)。

(注70) 世界を認識する本体とはなにか? という質問のようなもの (注71) 自己流や世間の常識なら、考えている自分という自我が認識する本体である、とカン違いしてしまいますが、仏教の定義はそれではないそうです (注72) すべての説法はたったひとつのなにものかに行き着くということ、雲門和尚の対一説という話があります (注73) 帝釈天のインドラ網のように、互いに認識し合うだけでそのものの実体はなく、認識だけが存在するような世界観 (注74) 南宋北宋の文献にはこの真実人体なるものが生死や宇宙のあるなしを貫いて存在しつづけている、という感じの記述が目につきます

これらを見逃す (注75. 蹉過) ことなく道を学んでくださす (學道するなり)。たとへ数えることのできないほどの長い時間や (三大阿僧祇劫)、もっと長い時間 (十三大阿祇劫)、さらに無限にかぞえることのできない時間までも (無量阿僧祇劫)、その感覚を保ちつづけ (身受身しもてゆく)、かならず道を学ぶそのときがあり (學道の時節なる) 進んだり戻ったりしながら道を学びます (進歩退歩學道なり)。師に礼拝をし質問することは (禮拜問訊) すなわち、こころのはたらきを止め姿勢を正すことであり (動止威儀なり)。枯木を書写することであり (注76. 畫圖)、死んだ人の遺灰をふるって掃除します (注77. 死灰を磨傳す)。たとえわずかといえども中断してはダメで (しばらくの間斷あらず)。積み重ねた日々は短いけれど (暦日は短促なりといへども) 道を学ぶことはまだまだはるかに霞んださきにあります (學道は幽遠なり)。家を出て坊さんになる成り行きはひっそりとはしていますが (捨家出家せる風流たとひ蕭然なりとも)、木こりが山にこもるのとは少し違い (樵夫に混同することなかれ)。生活のための雑事があれこれとはありますが (活計たとひ競頭すとも)、畑をたがやす百姓の家ともやや違います (佃戸に一齊なるにあらず)。迷いとさとり、善や悪の (迷悟善惡) 議論と比べるようなものでなく、まちがいや正しいこと、ホンモノやにせもの (邪正眞僞の) といった線引きにこだわってはいけません (注78. 際にとどむることなかれ)。

(注75) 意識の中にあるビミョーな感覚なので注意して観察します (注76) ほとけがあらわれれば空気感のようなもので知ることができ、それを真似することもできます (注77) 古人の書いた文献を取捨選択してそのものを探ります (注78) 対立概念の線引きがなくなれば、そこにも仏があらわれています

生や死がどこかに去ってまたやって来る真実の人の本質というものは (去來眞實人體といふは)、いわゆる生死は平凡な人たちの感覚であるけれど (凡夫の流轉なりといへども)、それをきわめた聖人のいる場所がそこであり (大聖の所なり)。平凡さを超え、聖人のレベルをも越え (超凡越聖せん)、これを真の本体 (眞實體) であるとするだけでなく、これに二種や七種の分類がありますが (しなあれども)、結局のところ (究盡するに)、それぞれは (面面) みな生死の一側面であるために恐怖すべきものではありません。そのためにそのようであるならば (ゆゑいかんとなれば)、いまだ生を捨ててはいないけれども、いますでに死を見ていることであり。いまだ死を捨ててはいないけれども、いますでに生を見ています。生は死をさまたげる (けい礙する) ものではなく、死が生をさまたげることもありません (けい礙するにあらず)、生き死にはともに平凡な人たちにはよくわからないし (凡夫のしるところにあらず)。生はびゃくしんの大木のように活き活きとし (栢樹子)。死はヤクザ者のようにキラわれます (鐵漢)。その生命感のようなものは (栢樹は) たとえじっさいのびゃくしん (栢樹) とまちがわれるようなことがあっても (礙せらるとも)、生はいまだ死にジャマされてはいないので道を学ぶことができます (礙せられざるゆゑに學道なり)。生は一枚の布のようにひとかたまりではなく (一枚にあらず)、死は二枚の布というわけでもありません (兩疋にあらず)。死が生に対立することもないし (相對するなし)、生が死を待っているということでもありません (相待するなし)。

圜悟禪師は言います、生きていればすべてのはたらきがあらわれ (生也全機現)、死んだときにもすべてのはたらきがあらわれ (死也全機現)、その明るいけれどふさがれた場所はただカラッポであり (注79. 門※塞太虚空)、もともとのこころというのは常に断片にすぎません (注80. 赤心常片片)。 この意味するところを (道著)、静かに功夫と点検 (點検) すべきです。圜悟禪師はかつてそのように (恁麼) 言いましたけが (いふといへども)、なほいまだ生死のすべてのはたらきが (全機) 他にもまだあることは知られていません (あまれることをしらず)。去ってまたやって来るものについて考えまなび (參學)、去ることに生死があり、来ることにもまた生死があり、生にも去来するものがあり、死にも去来するものがあります。去来するものは廻りの世界がすべて尽きてしまった状態を (盡十方界) 両のつばさとし三枚の羽として (兩翼三翼) 飛び去ったり飛んで来たりします、世界の尽きたようすを (盡十方界) 三本足や五本の足として進んだり退いたりします (進歩退歩)。生死を頭やしっ尾とし、世界の尽きた真の人の本体は (盡十方界眞實人體) うまくからだの中心となり (注81. よく身囘腦するなり)。中心であることは (注81. 身囘腦するに)、一錢のお金ほどの大きさであり(注81)、目の前にちいさなチリのひとかけらがあるようなもの (似微塵裏なり)、平らにならした平たい土地 (平坦坦地)、そこに見上げるような高さの壁を立て (それ壁立千仭なり)、その壁のあるところ (壁立千仭處)、そこはまた平坦な土地であったりします (それ平坦坦地なり)。このために南宋や北宋時代に面目というものがつたわり (注82. 南州北州の面目あり)、これについて道を学びます。なにも思わないし、思わないということもない (注83. 非想非非想) という本質を語った言葉もあり (骨髓あり)、これらを深く掘り下げて (抗して) 道を学ぶ (學道) だけなのです。

(注79) ※は門構えに日と田、日の光が差す明るい外の世界への出口というカンジでしょうか、この門塞太虚空は閉ざされたからっぽの洞窟というイメージ (注80) 認識が個々に拾い集めたパーツを組み合わせて、意識は世界をつくりあげます (注81) からだに中心がありコンパクトに身動きできる感覚 (注82) 本来の面目、顔の鼻先あたりに注意を集中するとその感じがわかります (注83) 般若心経的表現、否定と否定をさらに否定したもの、お釈迦さまの言う中道はこれのことのようですね

正法眼藏身心學道第四

このとき1242年一月のころちょうようの日である九日にあたり、宝林寺においてみなの衆に説法をして示します (注84. 爾時仁治三年壬寅重陽日在于寶林寺示衆)、 そしてこれを1242年二月の中ごろ弟子のえじょうが書き写しました (注85. 仁治癸卯仲春初二日書寫 懷弉)

(注84) 重陽は陽である九の字が重なった九月九日ですが、ここではなぜか一月、宝林寺は現在も京都の宇治市にあり、興聖寺とも呼ばれるそうです (注85) 懷弉は道元さんの弟子であり後継者でもあり、道元師匠よりも二つ年上の人だったようです






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