【弁道話】 べんどうわ

諸仏と如来は、ともにふしぎな教えを自分自身から学びながら伝えて (単伝) きましたが、さとり (阿耨菩提、あらくぼだい) があることを理解するためには、最も上質でありしかもあれこれと考える必用のない不思議な方法があります。これは単にこころの中のほとけが一般に拝まれている佛に授けたもので (ほとけ佛にさづけて) 邪悪な考えなどとは無縁のもので、すなはち自分の心のありさまを観察してそれに浸る (自受用三昧) ことが一般に実践されています。

この自分のこころの中に浸って (三昧) それを楽しむ (遊化) ためには、きちんと座り禅の教えを学ぶことを (端坐參禪) 正しい入り口としています。この教えというのはじつは人それぞれ (人人の分上) に本来豊かに備わってはいるのですが、まだ学んでいなければ (修せざる) おもてに現れることはなく、それがあると理解できなければ (證せざる) その良さを得ることができません。放り投げれば逆に手にいっぱい満ちていて (はなてばてにみてり)、一つと多数の境目 (一多のきは) があるわけではありません。言葉で語れば口にいっぱいの数になってしまうでしょうし、縱や横という区別も定まってはいないのです。諸々の仏の本体は常にこの中に住んでいて、いろんなかたちで知覚とは隔絶され、衆生 (群生) といわれる人たちも永遠にこの中に住んでいるのですが、五感のような現実の知覚を使ってもそれらがおもてに現れることはありません。

いまから話すあれこれ工夫をした説明の方法は (功夫辨道)、そのものをはっきりさせるためにいろいろな教えが出てきますが (證上に萬法をあらしめ)、その出口はすべてひとつの場所 (一如) に集まっていて、入り口にある関所をこえて心身が抜け落ちた (超關脱落) とき、このとある場所 (節目) に出会うことになるでしょう。

わたしが思い立って仏教の勉強を始めて (予發心求法) 以来、日本の国のいろいろなところに (わが朝の遍方に) 知識を求めて訪れましたが、たまたま立ち寄った建仁寺で明全和尚に出会い (ちなみに建仁の全公をみる)、そのまま弟子として従って霜や花の季節があっという間に九回も過ぎてしまい (あひしたがふ霜華すみやかに九廻をへたり)、その間にいくつかの臨斎宗の説法や教えなども勉強していました (いささか臨濟の家風をきく)。明全和尚は日本禅宗の祖師でもある栄西禅師の高弟として、その仏法を正しく伝えられ (注1.ひとり無上の佛法を正傳せり) た人で、同門の人たちとは同列に並べられない方でもあります。

(注1) 明全和尚は栄西門下の高弟ではあるけれど、栄西の後継者ではないのでこの 「ひとり無上の・・」 のくだりはやや持ち上げすぎで、道元さんから見た個人的な感想という感じです。

わたしはたびたび大宋國 (南宋) におもむき、知識を求めて浙江省のなかの浙東から浙西 (兩浙) まで訪れました、家風を訪ねて法眼・為仰・曹洞・雲門・臨済などの宗派 (五門) の説法も聴き、最後には天童山 (大白峰) の如淨禅師のもとで修行をつとめ、ついに求めるものを得ることができました (一生參學の大事ここにをはりぬ)。そのあと南宋国にいう紹定のはじめころ (注、元年は西暦1228) 日本に帰り着き、すぐにこの教えを一般の人々に広めたい (弘法衆生) という思いがあり、さらに重い荷物 (重擔) を肩にのせるつもりです。

そうではあるけれど、教えを広めたい (弘通) こころはとりあえずおいておき、その時期が来る(激揚) のを待つために、しばらくあちこちに立ち寄って (雲遊萍寄、萍は浮き草のこと)、じかにすぐれた先輩 (先哲) の説法 (風) を聴いてみました。ただし最初から有名かどうか (名利) にはこだわらず、道を求めるこころを大切にし、真実を学べる場所があるだろうかと考えていました。いたづらによくわかっていない師匠にとまどってしまい、わけもなく正解を隠されたりすれば、むなしく混乱 (自狂) するばかりで、長いあいだ迷いの里 (迷郷) に沈んでしまいます、なにをたよりに智慧 (般若) の正しい種を育て、道を得る時にいたるのでしょう。まだわからない者たちは (貧道) はいま時あちこちとふらふらする (雲遊萍寄) のがふつうのことで、どこかの山や川を訪れているところでしょう。こんなありさまを気の毒に思うからこそ、南宋で目のあたりにした禅宗の教えやしきたり (風規) を見聞きし、その知識のよくできた話 (玄旨) として伝わった (稟持) ものを記しあつめ、勉強はしているがまだそこに至っていない (參學閑道) 人たちにのこし、仏の世界を教える者 (佛家) の正しいやり方 (正法) として示そうというもので、これはわたしの極意 (眞訣) とでもいうものであります。

曰く、お釈迦さま (大師釋尊) は、法華経にある霊鷲山の法会 (靈山會上) にてその教え (法) を弟子の迦葉にさずけ、それが代々正しく伝わって (祖祖正傳) 、禅の祖師であるダルマ (菩提達磨) 尊者へと至ります。尊者はみづから神丹國におもむき、その教えを慧可大師に授け、このことがインドより東の土地に仏法が伝来したはじめなのです。

このようにしてそれぞれが教えを完成させながら (單傳) 、導かれるように六祖慧能 (六祖大鑑禪師) へと至ります。このとき、真実の仏法がまさに東漢の地に広まって (流演) 、転機 (節目) が訪れるようなしるしがあらわれます。そのとき六祖には二人のすぐれた高弟 (神足) がいて、南嶽の懷讓と青原の行思の二人でした。ともに仏を理解した証を伝授され (佛印を傳持)、おなじように大衆や権力者にも説法をしています (人天の導師なり)。その二人の流派が広まるにつれ (流通するに)、大きく五つの宗派 (五門) にわかれました。いわゆる法眼宗、為仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨濟宗となり、いまでは (見在) 南宋には臨濟宗だけが天下に広く知られています。五つの宗派 (五家) はそれぞれ異なってはいますが、その教えはただひとつの仏のありようを示すだけです (一佛心印)。

南宋でも後漢が終わってこのかた、教えの系列は代々つづいて (教籍あとをたれて) 天下に広まる (一天にしけり) といへども、その優劣 (雌雄) はいまだ定まっていないようです。達磨祖師が中国にやってきた (祖師西來) のち、こころの迷い (直に葛藤) の根源を切り離し、純粋でたった一つの仏法が広まりました。わが国もまたこのようになる事を乞い願っているのです。

いはく、仏の教えとともに生きる (佛法を住持せし) 祖師たちと、さとりを得た仏その人たちは (諸祖と諸佛)、ともに自分のこころに浸りながら (自受用三昧) きちんと座り修行する (端坐依行) ことを、そのさとりを開くためのもっとも良い方法 (開悟のまさしきみち) としました。インドから中国に至るまで (西天東地)、さとりを得た人はみなそのやり方 (風) に従っていました。これは師匠から弟子へと表にはあらわれない教えを正しく伝え (師資ひそかに妙を正傳し)、その真意を表にあらわす (眞訣を稟持せし) ことによってできることなのです。

宗派に伝わる教え (宗門の正傳) によると、この代々正しく伝わってきた (單傳正直) 仏法は最上のなかでもさらに最上のもので、修行や学問 (參見知識) のはじめから、一切の儀礼的なしきたり (燒香禮拜念佛修懺看經) を使用しません、ただしひたすら打たれたり座る (打坐) ことのみをして、体とこころが抜け落ちる (身心脱落、しんじんとつらく) ことを得ようとするものです。

もし人がたとえ一時なりといへど、身体や口やこころ (三業) に仏のしるしを刻み (佛印を標し)、こころの中の世界に浸ってきちんと座る (三昧に端坐) とき、あの世もこの世も (遍法界) すべてに仏のしるし (佛印) が現れ、この空が尽きるすべてのところ (盡空) までことごとくさとりに満たされることでしょう。そうしたわけで、さとりを得た人々とそれを実践する人たち (諸佛如來) は教えの中に本来ある楽しみが増し (本地の法樂) 、さとりに至る道をあらたに飾りつけ (覺道の莊嚴をあらたにす)、あらゆる仏の世界 (十方法界)、地獄や輪廻に生きるものたち (三途六道の群類)、すべてともに一時に心身が明るく清らかに (明淨) になり、疑問の解けた場所を明らかにし (大解地を證し)、真理を見ることができるもともとの顔と眼 (本來面目) が現れるとき、その教えはすべて正しいさとりを明らかにするでしょう (法みな正覺を證會し)。万物はともに仏の体 (佛身) を使用し、すみやかにさとりに出会った場所を一気にとび超え (證會の邊際を一超して)、菩提樹の下に座し (覺樹王に端坐し)、一瞬にして比べるもののない教えの大車輪を回しはじめ (一時に無等等の大法輪を轉じ)、行き着いてなにもなくなったところにある深い智慧 (究竟無爲の深般若) が現れ説法をはじめます (開演す)。

これらさとりの段階 (等正覺) は、さらにこころの中に還って、もとからあるうす暗い道に出会いますから (注2、あひ冥資するみちかよふ) 、この座禅をする人は、しっかりと (確爾) と身心を脱落し、以前からの細かい汚れのような (從來雜穢の) 知識や思い込みを切り捨てて (知見思量を截斷して)、ほんものの仏があるという確信に出会い (天眞の佛法に證會し)、すみずみにある微細なちりの中にもあるという (あまねく微塵際)、無数の仏と如来が修行する道場 (そこばくの佛如來の道場) ごとに仏が現れることを助け (佛事を助發)、広く最上の仏に出会う恩恵にあずかり (佛向上の機にかうぶらしめて)、よく最上の仏の教え (佛向上の法) を現わすことになるでしょう (激揚す)。

このとき、すべての仏の世界 (十方法界) から見た土地草木は、レンガの壁が壊れて瓦礫となってしまった (牆壁瓦礫、しょうへきぐわりゃく) 喩えのように、それぞれ仏の本体が現れ (佛事をなすをもて)、その起こすところの功徳 (風水の利) にあづかる人たちは、みななんとも言えない不思議な (甚妙不可思議) 仏のあり方にぼんやりと (注2、佛化に冥資) させられて、さとりがごく身近にあったことを知るでしょう (ちかきさとりをあらはす)。この功徳 (水火) を受け取る (受用) こころの一部分 (たぐい) は、みな仏の本当のありさまを明らかにする手助けをするので (本證の佛化を周旋する)、これらのこころの部分を利用 (共住) して話す人 (同語) は、またことごとくこころにも身体にも (あひたがひ) 窮まることのないほとけの良さが備わっています (無窮の佛徳そなはり)。転がりながら世界を生じ (展轉廣作)、尽きることなく、絶えることなく、不思議なものであり、測ることもできない (無盡無間斷不可思議不可稱量) 仏の教えを、世界のすみずみ (遍法界の内外) に行き渡らせ (流通) るものです。

(注2) 冥は暗いという意味ですが、禅の場合は 「ぼんやり」 と訳したほうが近いです。

そんなであっても、このもろもろの当人が知覚を断絶していない (昏ぜざらしむる) ことは、静かに座禅をして何もない状態 (靜中の無造作) の中でそれがあきらかに現れる (直證) ことでわかります。もし、ふつうの人 (凡流) が考えるように、学んで明らかにする (修證) 二段階 (兩段) であるなら、それぞれの知識を覚える (覺知) べきでしょう。ところがもし知識を覚えたとしても (覺知にまじはる) それは明らかになったこと (證則) にはならず、あきらかになるとは (證則) 迷ったり不安になったりしない世界でもあるからです (迷情およばざるがゆゑに) 。(注3)

(注3) 知識ではなく、感情でもない世界にほとけがいるそうです。

また、こころや五感 (注4、心境) ともに静謐な中に証しやさとりが現れても (靜中の證入悟出)、こころの中を観察しながら五感 (注4、自受用の境界) を使えば、世界は微動もしないし (一塵をうごかさず)、一体でもあり (一相をやぶらず)、広大な仏の世界 (廣大の佛事) が現れ、こころの奥深くにある (甚深) 微妙な仏と一体に (佛化) なるでしょう。この仏と同化したとき (化道) 功徳の及ぶところの草木土地は、ともにその本来のひかり (大光明) をはなち、深くて不思議な説法 (深妙法) を説いても、それが尽きることはありません。草木やれんがの壁 (牆壁) は、よく仏のいろいろな顔 (凡聖含靈) をあらわしているし (宣揚し)、その仏の側面 (凡聖含靈) から見れば逆に草木牆壁をのんびりと眺めているだけです (ために演暢す)。自分の内を意識することと外側を意識することの境目は (自覺覺他の境界)、もとよりほとけの現れるところ (證相) を備えていて完全であり (かけたることなく)、つねにほとけが現れていて (證則おこなはれて) 一時も休みがありません (おこたるときなからしむ)。

(注4) 六境は色境・声境・香境・味境・触境・法境。

ここが大事なところで、わづかに一人でたったひとときの座禅をしたとしても、ほとけと出会いそのぼんやりとした場所を知り (注2、法とあひ冥し)、時間の流れとはなにかを知る (時とまどかに通ずる) ために、尽きることのない仏の世界 (無盡法界) のなかに、過去未来現在に (去來現)、つねに久しくある (常恆) ほとけのはたらきや功徳 (佛化道事) を実践することになります。座禅をする人たちは (彼彼) ともに最上の修行をしていることになり (一等の同修なり)、同じように仏の証しを見ています (同證なり)。ただ座るという修行 (坐上の修) のみにあらず、虚空を打つひびきを聞き (注5、空をうちてひびきをなすこと)、鐘の音の前後にもふしぎな声がつらなっていることを知るでしょう (注6、撞の前後に妙聲綿綿たるものなり)。こういった高い段階に限らず (このきはのみにかぎらむや)、修行する人々 (百頭) はみな仏本来の顔と眼 (本面目) に座禅の行 (本修行) を組み合わせ、余計な考えをあれこれと思ってはいけません (はかりはかるべきにあらず)。

(注5) 白隠和尚の隻手の声と同じ、無音を聞くのがテーマです。(注6) 雲門和尚の鐘声七条で、音を認識することについての分析のような話です

そして知るべきです、たとえ果てしなく無数にある河原の砂の数ほどの仏 (十方無量恆河沙數の佛)、がともにちからを合わせ (はげまして)、仏の知慧を使って、一人で座禅する功徳を推量し極めよう (はかりしりきはめん) としても、あえてその行き着く果てというものはないのです (ほとりをうることあらじ)。

いま私が説明し、この座禅の功徳がとても高くて大きいものであることを聞き終わりました。おろかでない人であっても、やや疑いをもって言うでしょう、仏法には多くの流派 (門) があり、どんな理由で一番に座禅をすすめるのでしょうか? と。

示していはく、これが仏法の正しい流儀 (門) であることによります。(注7)

(注7) ここからは、よくある質問のFAQ集となって最後までつづきます

問うていはく、どんな理由で座禅のみを正しい流儀とするのでしょう。

示していはく、

お釈迦さまは (大師釋尊)、まさしく道を得る不思議な方法を得てそれを正しく伝えましたが、また三世の如來も、お釈迦さまとともに座禅より道を得ることになりました。このゆえに正しい方法 (正門) であることが伝わっているのです。それだけでなく、インドから中国までの師匠たちは (西天東地の緒祖)、すべての人が座禅より道を得ています。というわけでいま正しい方法を (正門) を大衆から指導者まで (人天) に示したいのです。(注8)

(注8) お釈迦さまは菩提樹の木の下で断食・瞑想をして仏を理解したわけで、それを追体験することでほとけを明らかにするのが達磨 (だるま) 大師の伝えた禅の基本スタンスです

問うていはく、あるいはそのやって来るものの微妙さを正しく伝え (如來の妙を正傳)、または師の真似をすることもせず (あとをたづぬるによらむ)、まことにふつうの考えでは (凡慮) 及びもしないことです。そうではあっても、経を読んだり念仏を唱えたりすることは、おのづからさとりのもと (因) となるはずです。ただなにもせずにすわっていても (むなしく坐して) なすところはないでしょう、なにをたよりにしてさとりを得る知らせ (たより) とするのでしょう。

示していはく、あなたはいまほとけの世界に浸り (緒佛の三昧)、この上ないほとけのはたらきを (無上の大法)、ただ座っているだけでなにもしていないと思っているのでしょうが、これを大きなほとけの乗り物を信じない人と言います (大乘を謗ずる人)。迷いがかなり深く、大海のなかにいるのに水が無いと言ってるようなものです。すでに片寄ることも無く (かたじけなく)、ほとけのなかに浸ってゆったりと座っているのです (緒佛自受用三昧に安坐せり)。これこそ無限の功徳をなしているのではないでしょうか (廣大の功をなすにあらずや)。気の毒なことで (あはれむべし)、目玉を (まなこ) いまだひらけないのであり、こころなほ永遠の場所に (ゑひに) あることを知りません。

おほよそ佛の境界は不可思議なり。こころのはたらきの (心識) およぶべきにあらず。まして (いはんや) 信じないしあさはかな知識で (不信劣智) しることを得られるでしょうか (えむや)。ただ正しく信じるその大きなはたらきでのみ (正信の大機)、よく入る (いる) ことを得ます。不信の人は、たとへ教えても (をしふとも) 得ることは難しく (うくべきことかたし)。法華経の霊鷲山に説法の途中で退いた五千人のようなもので (靈山になほ退亦佳矣のたぐひ)。おほよそ心に正信おこらば修行し參學すべし。しかあらずは、すぐにやめるべきでしょう (しばらくやむべし)。むかしより法をえるための理解 (ほひ、本意) がないことを恨んでください。

また、読経や念仏 (讀經念佛) 等のお勤めで得られる功徳を、あなたは知っているのでしょうか。ただ舌を動かし、声をあげることを、ほとけの功徳と (佛事功徳) おもっています、それは頼りないことで (いとはかなし)。佛法に集中するためには逆に遠ざかってしまい (擬するにうたたとほく)、いよいよはるかかなたになります。また、経典 (經書) をひらくことは、ほとけが即座にあらわれまたはゆっくりとあらわれる修行の規則を教え (頓漸修行の儀則ををしへ)、あきらかにし、教えのごとく修行すれば、かならずその証拠を捕まえることとなります (證をとらしめむとなり)。いたづらに思いや念じることに時間をついやし (思量念度をつひやし)、ほとけを手に入れ功徳を手に入れることに (菩提をうる功に) 執着すること (擬せん) ではありません。おろかに千萬回の経文を読むことばかりをやっていて (誦の口業をしきりにして) 佛道に到達しようとするのは、なほこれ牛車を北にむけて (ながえをきたにして)、ベトナムに (越に) 向かおうとするようなものです。または丸い穴に四角い木を入れようと (圓孔に方木をいれん) することにも同じで、文章に照らしながら (文をみながら) 修行する方法をわかってなく (修するみちにくらき)、それは医者が薬の調合を忘れてしまったようなもので (醫方をみる人の合藥をわすれん)、どんな利益があると言うのでしょう (なにの益かあらん)。口から声を休みなくだし (口聲をひまなく)、春の田の蛙のように、一晩中鳴いているようなものです (晝夜になくがごとし)、結局なにも益するところはなく、ましてや名声や利益にふかく惑わされているものたちは、これらのことを捨てることとが難しく、利益を求める (それ利貪の) こころはなはだ深いために、昔はすでにあったけれど (むかしすでにありき)、今の世には失われてしまった (いまのよになからむや)、などという考えそのものが情けないことです (もともあはれむべし)。

ただまさにしるべきで、お釈迦さま以前の七人のほとけが伝える (七佛の) 妙法は、その道を得てこころのありようを明らかにした師匠に (得道明心の宗匠)、従うと決めそのものがあるという確信に出会った (契心證會) 學人が師匠にしたがいその正しいやり方を伝えられれば (正傳)、的を得た意味が (的旨) あらはれてそれを身につけるようになります (稟持せらるる)。文字学問の法師たちの知り及ぶものではなく。そうであればすなはち、この疑い迷うことをやめて、正しい師匠の教えにより、坐禪をしことばを工夫して (辨道) 内側にいるほとけに浸った世界の (佛自受用三昧) 証しを手に入れます (證得)。(注9)

(注9) お釈迦さまは袈裟を着て経文を読んだのか? という今も昔も変わらない素朴なギモンの答えがここに書かれているようです

問うていはく、いまこの日本の国に (わが朝に) 伝わっているところの法華宗や (法花宗)、華嚴教はともに庶民向けの仏教としてはすぐれたものです (大乘の究竟)。まして真言宗のごときは、大日如来をはじまりとし (毘盧遮那如來したしく) 金剛薩多菩薩へとつたわり師弟の関係は (師資) 乱れることなく伝わっています。その内容は (談ずるむね)、そのままのこころがほとけであり (即心是佛)、このこころがほとけをあらわします (是心作佛) と言って、長いあいだにわたる年月の (多劫の) 修行を経ることなく、一枚のマンダラの中に大日如来と四大如来を配置して正しいさとりをあらわし (一座に五佛の正覺をとなふ)、佛法の極まった妙とでも言うものです。そうであっても、いま言うところの修行には、どんなすぐれたところがあって、それらの教えをさしおいても、ひとえにこれを薦めるのでしょうか。

示していはく、知るべきで、仏教を信じる人たちは (佛家) その教えが勝れているか劣っているか (教の殊劣) を議論 (對論) することなく、その中身の (法) 浅い深いを選ぶことがありません、ただし修行の真偽は知る必要があり、草花山水にひかれて佛道に流入することがあったり、土石沙礫をにぎりしめるようにほとけのあらわれたもの (佛印) を身にまとう (稟持) こともあります。まして無数にある文献は (廣大の文字) 世界のあらゆる現象より (萬象) も数が多くなほゆたかにあり、これらのいろいろな仏説を説法することも (轉大法輪) また舞い上がったひとかたまりの砂塵 (一塵) に含まれているのです。そうであればすなはち、こころが即座にほとけである (即心即佛) ということばは、なほこれ水面に映った月のようであり (水中の月)、すわればそくざにほとけと成ることの意味は (即坐成佛のむね)、さらにまた鏡の中にある虚像のようなものです (かがみのうちのかげ)。ことばを上手に使うことにこだわってはいけません。いままさに明かすほとけの (直證菩提) 修行をすすめるために、内なるほとけが伝わっていることの不思議なありさまを (佛單傳の妙道) 示して、真実の道を求める人となろうとします (眞實の道人とならしめん)。

また佛法を伝え授けることは (傳授)、かならずそれを理解した証拠を持つ人 (證契の人) をその教えの師匠 (宗師) とすべきで、文字を読んでいるだけの (かぞふる) 學者を探して (もて) その導くための師とするには物足らず、一人の盲人が多くの盲人の手を引いているようなものです。いまこのほとけが正しく伝わっている一門の人たちは (佛正傳の門下)、みなその道を得たというハッキリとした証しをもった良くわかる師匠を (得道證契の哲匠) 敬って、佛法を守り維持 (住持) しています。こんなような事情ですから、陰陽の道士 (冥陽の道も) がやって来て帰依したり、ほとけを明らかにしてそれがなにかわかった坊さん (證果の羅漢) もやって来てあれこれ問答を交わすけれど (問法するに)、おたがいがそのわかったことの (心地を開明) 手の内を隠す (手をさづけず) ということがありません。よその宗派では (餘門に) いまだにあまり聞かない話で、佛弟子はただ佛法を習うべきなのです。

また知るべきで、わたしたちにはもともとこの上ない仏が備わっていて (無上菩提かけたるにあらず)、常にそれを受け取っている (とこしなへに受用) のだけれど、それを見る方法を知らないために (承當することをえざるゆゑに)、間違った見方が習慣となってしまい (みだりに知見をおこす事をならひとして)、こういうものだと理解してしまうことによって (これを物とおふによりて)、ほとけの大道はむなしく目の前をとおりすぎるのです (いたづらに蹉過)。こういった見方に (知見) よれば、いろいろな煩悩があらわれ (空花まちまちなり)。あるいは十二に分類したこころのはたらきや (十二輪轉)、二十五種の世界のあり方 (二十五有の境界) があると思い、修行の過程の分類や (三乘五乘)、ほとけがあったりなかったりという見方となり (有佛無佛の見)、それらを区別する事はきりがありません (つくることなし)。この見方 (知見) を習い、佛法修行の正しい道であると思ってはダメであり、そんなことなので (しかあるを)、いまはまさしくほとけをあらわすとされる修行の形式にしたがい (佛印によりて) 萬事を捨て去り (放下)、集中して (一向) 坐禪するとき、迷いや悟りといったものの目安や境い目を気にせず (迷悟量のほとりをこえて)、凡人や聖人のあるべき姿にもとらわれず (みちにかかはらず)、すみやかに決まりごとの外側で自由になり (格外に逍遙)、大きなほとけを感じ取ります (大菩提を受用)。かの文字文献に頼っているだけの人たちが (文字の筌にかかはるものの)、肩を並べることはとうてい及ばないのです。(注10)

(注10) 当時日本仏教の主流であった真言や天台にも座禅の瞑想法は規定がありますが、あくまで多くの行法のなかの一つという位置づけだったので、座禅のみを最上位に位置づけたシンプルさは目新しいものであったと思われます。

問うていはく、戒定論 (三學) のなかに定學があり、布施持戒忍辱精進禅定智慧という六つの行法(六度) のなかに禅定 (禪度) があります。ともにこれすべての菩薩といわれる人たちが、最初から (初心より) 学んでいるやり方で、素質にも関係なく (利鈍をわかず) こんな修行をします。いまの坐禪もそんなひとつであって、どんな理由によるのか、この方法のなかにお釈迦さまの正しい行法がすべて備わっていると言います (如來の正法あつめたり)。

示していはく、お釈迦さまの教えるとても大事な正しい眼目とでも言うべきもの (如來一大事の正法眼藏)、この上ないほとけのはたらきを解説するものとして (無上の大法)、禅宗 (禪宗) と名ずけられるために、この問いがあるのです。 しるべきで、この禅宗という呼び名は (禪宗の號)、中国の秦王朝より東の地方に (神丹以東) 起こりインドでは (竺乾) 聞きません。はじめは達磨大師が嵩山にある少林寺において九年間の壁に向かって座禅をする修業 (面壁) をしているあいだ、道教のものや俗人は (道俗) いまだ正しいほとけの修行法 (佛正法) を知りませんでした、坐禪することをその教えとする僧侶集団 (宗とする婆羅門) と名ずけられ、その後代々つたわる師匠たちは (緒祖)、みんな常に坐禪をはっきりとその教えとし (はらす)。これをみるよくわかっていない人々は (おろかなる俗家)、じっさいの様子をしらずに (實をしらず)、よくわからないまま (ひたたけて) 坐禪宗と言っていました。いまの世では坐のことばを省略して (簡) ただ禪宗と言っています。その意味するところは (こころ)、昔の師匠の語った言葉が伝わっていて (緒祖の廣語) そこに明らかにされています。六度や三學に示されている禪定という言葉とは少し違う意味です (ならべていふべきにあらず)。 このほとけ知る修行法が師匠から弟子に伝わるその意味は (佛法の相傳の嫡意)、お釈迦さまそのひとが隠すこともなく (一代にかくれなし)。お釈迦さまは (如來)、むかし霊鷲山の法会において (靈山會上)、正しい教えは目玉のウラにしまわれていて、それはこころが静まったふしぎな様子であるという (正法眼藏涅槃妙心)、この上ないほとけの教えを (無上の大法)、ただひとり迦葉尊者だけに後を託した (付法) その儀式は、現在も上の世界にいて天衆とでも呼ぶべき人たちは、その儀式を目の当たりに見て知っています (みしもの存ぜり)、疑うべきではなく、およそ佛法というものは、彼ら天衆が、永遠に守り維持しているものなのです (とこしなへに護持)、その功徳はいまだ下の世界に降りてきません (ふりず)。 まさにしるべきで、これは佛法のすべてであり (全道)、比較するような物もないのです。(注11)

(注11) 座禅の歴史講義、みたいな感じです。

問うていはく、仏教の人は (佛家) なにを理由に、行住坐臥 (四儀) と四つのものがあるのに、どうして座禅のみすると言い (ただし坐にのみおほせて) 座禅でこころの静まった状態の先にほとけ世界に入る証しがあるとするのでしょう (禪定をすすめて證入をいふや)。

示していわく、むかしからそれのわかった人たちは (緒佛)、つぎつぎといろいろな (あひつぎて) 修行をししたけれど、ほとけの証しやその世界へ入る (證入) 道は、究めたり知ったりすることが難しかったのです。そのやり方 (ゆゑ) を聞くとすれば、ただ仏教の人たちの (佛家) 利用しているものが (もちゐるところ) その方法 (ゆゑ) であると知るのです。この他に探し求める (たづぬ) べきではあるません。ただし、だるま大師が (祖師) ほめて言うには、坐禪はすなはち安樂の法門であり、分別で計算することはできず (はかりしりぬ)、日常の行住坐臥 (四儀) のなかに安樂が含まれているためでしょうか。まして一人二人のわかった人が (一佛二佛) 修行したやり方 (みち) ではなく、あらゆるわかった人やあらゆる宗派の祖師なども (緒佛緒祖) みなこのこのやり方 (みち) をしています。(注12)

(注12) 道元さんの回答はややあいまいでフニャフニャ、行住坐臥の坐と座禅は少し意味が違うもののようですね

問うていはく、この坐禪の行法について、いまだほとけのあり方を (佛法) 明らかにしそれに出会った (證會) ことのないものは、座禅をしたりいろいろな解説を読んで (坐禪辨道して) そのてがかりを探るべきです (證をとるべし)。いままでに (すでに) ほとけの正しいあり方を (佛正法) 明らかにできなかった人は (あきらめえん人)、座禅をしないで待っているどんな理由があるのでしょう (坐禪なにのまつところかあらむ)。

示していはく、疑っているひとに夢のような感覚を説明しても理解はされず (癡人のまへにゆめをとかず)、山に住む人に船のさおを渡しても使い道がないとはいえ (山子の手には舟棹をあたへがたしといへども)、さらにあれこれ説明をするぺきで (訓をたる)。そのあらわれ方は人それぞれと (修證は一つにあらず) 思うことは、すなわち仏教ではないものの理解であり (外道の見)。仏教ではやり方もその結果も一つのものに決まっているのです (佛法には修證これ一等なり)。いままさにほとけの証しがあらわれたためにそれを修めようとするのであり (證上の修なるゆゑ)、はじめてほとけを志すことが (初心の辨道) すなはちほとけが姿をあらわしたことの全体像なのです (本證の全體なり)。こんなリクツなので、修行の心得を (用心) 授けるときも、やりかたを修めようとする以外にはほとけの証しを (證) 待つ思いがないようにと教えます、ほとけを直接示すことができないためでもあります (直指の本證なるがゆゑなるべし)。すでにやり方にほとけの証しが含まれているので (修の證なれば)、ほとけの証しというはっきりしたものはなく (證にきはなく)、ほとけの証しはやり方にすでに含まれていて (證の修なれば)、そのやり方には始めもなかったのです (修にはじめなし)。ここを理解すれば (もて) お釈迦さまや弟子の迦葉が (釋如來、迦葉尊者)、ともにほとけの現われるやり方を自由に使いこなし (證上の修に受用せられ)、達磨大師や六祖慧能 (大鑑高) などもおなじくほとけがあらわれたやり方に呼ばれるようであり (證上の修に引轉せらる)、佛法が根づいた (住持) あとは、みなこのような様子なのです。(注13)

(注13) ほとけを探してみようと思い立ったそのときに、すでにほとけはあらわれているのだ、みたいな面白い表現です。

すでにほとけがあらわれている状態があり (證をはなれぬ修あり)、わたしたちには幸いにわずかだけれどビミョーなこの感覚がすでに身についてもいて (われらさいはひに一分の妙修を單傳せる)、はじめてほとけをこころざしたとき (初心の辨道) 即座にわずかなほとけの本体の証しを (すなはち一分の本證を) なにも思わないという意識の中に持っているのです (無爲の地にうるなり)。知るべきで、その感じにくっ付いているほとけの証しを (修をはなれぬ證) 俗物な感覚で汚さないために (染汚せざらしめんがために)、お釈迦さまは (佛) しきりに修行をゆるくしてはいけませんよと教えます。そのふしぎな感覚さえも意識しなくなれば (妙修を放下) ほとけの本体は手の中にあり (本證手の中にみてり)、そしてほとけという感覚すらもなくなれば (本證を出身)、そのふしぎな感覚は全身に行き渡ります (妙修通身におこなはる)。(注14)

(注14) ほとけはふつうの俗人の意識の中にも現われているありふれた感覚ですが、なかなか気ずかれることはなく、ふだんは俗物な感覚の中に埋もれているので、なんとかその汚れからエッセンスを分離したいところです

また、まのあたりにした南宋の国 (大宋國) を見てみれば、あちこちの (緒方) 禅院はみな座禅堂をかまえ、五百人六百人および一千二千の人をいつも集めていて (安じて)、日夜に坐禪を行っています (すすめき)。その指導者 (席主) とされるほとけを伝える相承を受けた師匠に (傳佛心印の宗師)、仏法の意味を一言で言い表せばという質問をすれば (佛法の大意をとぶらひしかば)、行法そのものやほとけがあらわれた感覚のどちらにも存在しないと言います (修證の兩段にあらぬむねをきこえき)。 このために、門下に集まって学ぶ人だけでなく (參學のみにあらず)、ほとけを求めて修行して歩くレベルの高い人たちや (求法の高流)、佛法の中にある眞實を知りたいと願う人たち、はじめてだったり経験があったりにかかわらず (初心後心をえらばず)、俗物だったり欲のない人だったりを議論せず (凡人聖人を論ぜず)、佛の教えによって、教えの上手な人の (宗匠) 道をたどって (おうて)、座禅やあれこれの工夫をすべきなのです (坐禪辨道すべしとすすむ)。 聞いたことはないでしょうか (きかずや)、六祖慧能はいいます (祖師のいはく)、ほとけの本体のようなものはまるで無いというわけではなく (修證はすなはちなきにあらず)、俗な意識では捕らえられないというものです (染汚することはえじ)。 また言います、ほとけの道を見ているものは、その道を身につけようとします (修すと)。知るべきなのは、ほとけを得られるやり方の中で (得道のなかに) 修行すべきであることということです。(注15)

(注15) みんなが行列してるラーメン屋はおいしい店が多いというような話ですかね、なんの心得もない初心者が正しい仏教かどうか判定するのもなかなか大変とは思いますが、とにかく正しいやり方で修行してください、というカンジ

問うていはく、日本国でも先の時代に (わが朝の先代)、教えを広めた師匠がいますが、これらの人々はすべて (ともに) 唐の国まで行ってその法を伝えようとしたのに (入唐傳法せしとき)、なぜこの座禅のやり方 (このむね) を差し置いて、ただその他の教えのみを伝えたのでしょう。

示していはく、むかしの師匠たちが (人師)、この座禅の法を伝えていないことは、時節がいまだ至っていなかったということなのでしょう。

問うていはく、それら昔の時代の師匠は (上代の師)、この法を会得したのでしょうか (會得せりや)。

示していはく、理解しているならば良く知っていることでしょう (會せば通じてむ)。

問うていはく、ある者が言うには、生死をなげくことはないと言い、生死からはなれ飛び出すために (出離するに) すぐにできる方法があります。いわゆるこころの持つ性質の中に変わらずにありつづける様子が存在することを (心性の常住なることわり) 知るのです。その意味というのは、このからだは (身體)、すでに生あればかならず滅した状態に移されてゆくことではあるけれども、このこころの中にある性質 (心性) は決して滅する事がありません。よく考えて生滅に影響されないこころのはたらきが (うつされぬ心性) 自分の身体にそなわっていることを知れば、これを本來の性質であると思うために、体はこれは仮の姿であり、死がここにあって生があちらという決まりもなくなります (死此生彼さだまりなし)。心はこれつねにここにあり (常住なり)、時間によって (去來現在) 変わるものではなく。このように理解することを、生死を離れるというのです。この意味を (むねを) 知ったものは、從來の生死の思いが完全に絶えて (ながくたえて)、このからだを引き伸ばすとき (身をはるとき) 仏性の海にいて (性海にいる)。このほとけの海を初めて知るとき (性海に朝宗)、お釈迦さまの言うふしぎものが (佛如來のごとく) まさにそなわります。いまはたとへこのことを知ったといえども、いままでの俗物な考えもまだ残っているので (前世の妄業になされたる身體)、聖人と同じというわけではありません。いまだこの意味をしらないものは、永く生死のあいだをさ迷うでしょう (ひさしく生死にめぐるべし)。そうであればすなわち、ただ急いで心の中に不変なものがあることを確認すべきで (心性の常住なるむねを了知)。いたづらにあてもなく座り (閑坐) 一生をすごすようなことは、なにを待っている必要があるのでしょう。 このようにいう意味は、これはまことの仏の道にかなうのか、いかがでしょう。(注16)

(注16) 南宋の禅業界ではこの生死の無い意識を理論化するのが流行りだったんでしょうか、生死がないとは言ってももとはただの感覚なんで、無理やり言葉のリクツにして伝わるんですかねー、という感じもします。

示していはく、いま言うところの見方は、まったく佛法ではありません。仏教ではない人たちの見方です (先尼外道が見なり)。 もっと言うとすれば、そのような外道の見方は、自分のからだの内側に一つの魂のような感覚があり (ひとつの靈知あり)、その感じが (かの知)、すなはちはたらくように思い (にあふところに)、よく良い悪いを意識し (好惡をわきまへ)、これとかそうでないを意識し (是非をわきまへ)、痛さ痒さを知り、苦痛や樂しみを知ります、みなこの魂のようなものの (靈知) はたらきです。そんなことで、その魂は (靈性)、この身が滅するときに、体から抜け出していろいろな場所に生まれるために (もぬけてかしこにむまるるゆゑに)、ここに体が滅したように見えるけれど、その魂のようなものが生きていれば (かしこの生あれば)、永遠に滅びることなく (ながく滅せず) かわらずに生きているのだと (常住なり) 言います。この外道の見方というのは、このようなものです。 そんな様子であり、この見方を習って佛法とするのは、壊れたカワラのかけらを (瓦礫) 握りしめて金銀財宝だと (金寶) 思うことよりもなお愚かなことです。癡いがあり迷っていて恥ずかしいことで、たとへるものもありません。大唐国國の慧忠国師はこれをふかく戒めていて、いまこころは常に不変であり世界のみが生滅するという (心常相滅) まちがった見方をつかい (邪見を計し)、ほとけのふしぎなはたらきと同じであるとし (緒佛の妙法にひとしめ)、それが生死のほんとうの原因だとし (生死の本因をおこして)、生死をはなれることができると思うのは、愚かなことではないでしょうか。もっともあはれむべきことではありますが。ただこれは仏教でない (外道の) まちがった見方と知るべきで (邪見なりとしれ)、耳を貸すべきではありません (みみにふるべからず)。(注17)

(注17) タマシイのような自我の実体を否定するのが道元さんの考えで、お釈迦さまが死後のことについて 「無記」 とした仏教の一般定義とは似てるようでビミョーに違ってもいます、これはついでに輪廻や来世も自動的に否定されることになり、その結果として当時かなりな勢いで流行ってた法然和尚の浄土宗 (あの世にあるという浄土を信仰する) に対して明確な差別化の線引きをすることにもなってるんでしょうね。

まだそんな考えを捨てることができず (ことやむことをえず)、いまなお気の毒なことであると思い、あなたがそのまちがった見方をただそうと思うなら (なんぢが邪見をすくはば)、知るべきです、佛法はもとより身心が一つのものと見るので (一如にして)、心と世界の区別はないとして話をします (性相不二なりと談ずる)、インドから中国まで (西天東地) おなじく知られていることなので、あえて違えることもないでしょう。言うまでもなく不変のあり方を語る教えなら (常住を談ずる門) 世界のすべてはみな不変であり (萬法みな常住なり)、身と心とに分れることもありません。心の静まった様子を語る教えでは (寂滅を談ず門) 世界の様子はすべて静まっていて (緒法みな寂滅なり)。こころと世界を分けることはなく (性と相とをわくことなし)、そんな風であるのに、なぜ身体だけが滅してこころが不変というのでしょう (身滅心常)、正しい理くつに背くのでしょうか? そうであるだけでなく、生死はすなはちこころの静まった感覚の内にあると (涅槃なり) 理解すべきで、いまだ人の生死とは離れた場所に (ほかに) 涅槃を談じることもないでしょう。まして、心は身体をはなれて常に存在する (常住) と解釈 (領解) することで、生死を離れたとする仏教の智慧をカン違いして理解するわけで (佛智に妄計すといふとも)、このわかったり確信したりする (領解智覺) 心も、すなはちなお生滅して、まったく不滅の存在ではありません (常住ならず)。これが束の間だけではないものでしょうか? (はかなきにあらずや)。 味見するように観察すべきで (嘗觀)、身心一如という意味は (むね)、佛法ではいつも語られることで (つねの談)。そうであるのに、なぜ、この身体が生まれ滅するときに、心だけがひとり身体をはなれて、生滅をしない不変の世界にいるのでしょう。もし、身心が一つの状態であるときがあり (一如)、ひとつの状態ではないときがあれば (一如ならぬときあらば)、お釈迦さまは自分でまちがったことを言っていたことになり (佛説おのづから虚妄にありぬ)、また、生死は別あつかいにするルールである  (のぞくべき法ぞ) と思えるのは、佛法を嫌うような罪なのです (いとふつみとなる)。注意して慎んでください (つつしまざらむや)。 しるべきで、佛法にいうこころの本体の性質を使い世界のすべてを理解するやり方は (心性大總相の法門といふは)、意識できるすべての世界を含み (一大法界をこめて)、こころと現象世界を分けず (性相をわかず)、生滅について語ることもありません。ほとけの感覚やこころの静まった境地 (菩提涅槃) におよぶまで、こころの本質が作り出したのでないものはなく (心性にあらざるなし)。すべてのはたらき (一切緒法)、ありとあらゆる現象なども (萬象森羅)、ただこれひとつの心の本質であって (一心)、その中に含まれないとかそのはたらきでないといったことはありません (こめずかねざることなし)。このもろもろのありかたは (法門)、みな平等であり一つの心の本体です (平等一心)。あへて異なったり違ったりしないと説明します、これがすなわち仏教に言うこころの本質を (佛家の心性) 理解した樣子なのです。 そうであるのに、この仏教の教えの中に (一法に) 身体と心を分別し、生死と涅槃とを分ける必要があるのでしょうか (わくことあらむや)。すでにほとけの子であり (佛子なり)、外道の見方を語る狂人の舌のひびきに、耳を傾けてはいけません。(注18)

(注18) こころや意識や身体には認識するはたらきがあり、その認識するはたらきこそが世界の実体であり滅することのない本体である、というカンジでしょうか、華厳経みたいなモンかな?

問うていはく、この坐禪をもっぱらするような人は (もはらせむ人)、かならず戒律を厳格に守るべきでしょうか (嚴淨すべしや)。

示していはく、戒律を守るほとけの修行は (持戒梵行)、すなはち禅宗の決まりであり (禪門の規矩)、お釈迦さまから伝わる家のしきたりのようなものです (佛祖の家風)。いまだ戒を受けず、また戒を破ってしまうものは、あまりしっかりしてるとは言えませんね (分なきにあらず)。(注19)

(注19) うちの田舎の親類の法事に呼ばれた坊さんは、ちょっと遅刻したあげく、供養する人の名前を忘れちゃったので喪主に聞いてたり、そのあと30分だけお経を読んで、仕出しの刺身を食べて、ビールも飲んで、わりと太ってるし、奥さんと子供なんかもいるそうですが・・・

問うていはく、この坐禪を日常にする人が (つとめん人)、さらに真言宗や天台宗の (眞言止觀) 行を重ねて修行したら、なにか妨げがあるでしょうか。

示していはく、わたしが中国にいたとき (在唐のとき)、教えを受けている師匠に (宗師) このことを聞いて見ましたが (眞訣をききしちなみに)、インドから中国にいたるいままでに (西天東地の古今に)、ほとけのあらわれた証しを正しく伝えたむかしの師匠たちは (佛印を正傳せし緒祖)、いづれの宗派もいまだ禅宗のようなやり方を (しかのごときの行) 一緒に行っているとは (かね修す) 聞いたことがないと言います。まことに、一つの事をマジメに取り組まなければ (こととせざれば) そのほとけの智慧に (一智) 達することもないでしょう。(注20)

(注20) 病院でくすりの飲み合わせについて聞いてるみたいで、面白いですね、結局は二兎を追うものは・・となるようですが、天台止観を否定したのは惜しまれるところ、でも結局は只管と文字を変えながらヒッソリと天台内観法が生き残ってるのかもしれません。

問うていはく、この行法は、在家の俗人である男女がやってもよいのでしょうか (つとむべしや)、または出家の人だけがやるものでしょうか (ひとり出家人のみ修するか)。

示していはく、師が言うには、佛法に出会って理解するのに (會する)、男女や身分地位のちがい (貴賤) を選んではいけませんとおっしゃいます。(注21)

(注21) 女人成仏とか女性差別の議論をする宗派もこの当時あったわけで・・、というか今でもあるわけで・・

問うていはく、出家した人は、俗世間のあれこれから (緒縁) すぐに離れることができ、座禅やその他の修行がジャマされることはあれません (坐禪辨道にさはりなし)。ところが俗世間に在る人たちは日常のわずらわしい雑用があるので (繁務)、どのようにしてひた向きに (一向) 修行すればなにも為さないほとけの道に行き着くことができるのでしょう (無爲の佛道にかなはむ)。

示していはく、おおざっぱにいえば、お釈迦さまは (佛祖) あはれみのこころで、無限に広いほとけの門をひらきました (廣大の慈門をひらきおけり)。これは一切衆生にほとけの証しを見せるためで (證入)、大衆や指導者のだれが (人天たれか) 必要としないなどというでしょう。ここをもって、むかしや今のことを尋ねてみれば、その良い例が (證) 多く。たとえば、代宗や順宗といった皇帝の位についた人たちは (帝位にして)、日常があれこれと忙しいのに (萬機いとしげかりし)、座禅やその他の工夫をして (坐禪辨道) 佛の大道に出会い理解します (會通)。李相國や防相國は、ともに皇帝の輔佐をする大臣の位にいた人で、天子の手足でありながら (一天の股肱)、座禅やその他の修行をして (坐禪辨道) お釈迦さまが示したほとけのあり方 (佛祖の大道) を明らかにしてそこに入ることができました (證入す)。ただこれこころざしのありなしによるもので、立場が (身の) 在家か出家かには関係ありません。また深い意味でものごとの優劣 (殊劣) を見分ける人は、おのづから信ずることがあります。言うまでもなく世間の俗事が (世務) 佛法の修行をジャマする (さふ) と思うものは、ただ俗世間の中には (世中) 佛法がないものだと半分だけ知っていて、佛の中に俗な感覚がないことは (世法なき事) いまだ知らないのです。 ちかごろ南宋に (大宋に) 馮相公という人がありました。ほとけの道に通じた地位の高い官吏で (道に長ぜりし大官)。のちに詩を作り自分のことをこう言います、

公事之餘喜坐禪、
少曾將脇到牀眠。
雖然現出宰宦相、
長老之名四海傳。

仕事のあいまに座禅を楽しみ、
かつて枕をかかえ床の上に横になって眠ることも少なく。
そうこうするうちに大臣ともなり、
長老としての名が中国全土に伝わります。

これは、地位の高い公務で (宦務に) ひまが無い身体であるけれど、仏道を志す気持ちが深ければ、道を得ることができるのです。これらの例をして (他をもて) 自分を顧みたり、むかしのことをひもといて今のことに移し変えてみます (かがみるべし)。 南宋の国では (大宋國)、いまの世にある国王大臣、坊さん俗人男女、みんなが心をほとけの道に気を使わない (とどめず) ということがなく、武門でも文家でも、どちらも座禅やほとけを学ぶ (參禪學道) ことがふつうです (こころざし)。それを目指すものは、かならずほとけの境地を理解することも (心地を開明) 多く、これは世間の雑事が (世務) 仏法の修行をジャマすることがないと (さまたげざる)、おのづからわかるでしょう。 国家に真実の仏法が広まれば(弘通)、そのほとけを体現した指導者たちがいつでも (緒佛緒天ひまなく) 国を守るために (衞護)、国王は太平に力を尽くし (王化太平)。宗教家も太平に力を尽くすので (聖化太平)、仏法も本来のその力を得ることができます。 またお釈迦さまの (釋尊) 在世には、反対するものや間違った考えの人々も (逆人邪見) も道を得て (みちをえき)。だるま大師の教えを受けたものには (祖師の會下)、植木屋やきこりが (葛者樵翁) さとりを開きます。その他の人については言うべきも無く、ただ正しい師匠の示すやり方を探すのです (道をたづぬべし)。(注22)

(注22) 忙しい日常の雑事に囲まれていても、ほとけを理解することは可能なのか? という質問で、これは最後にある、無学なきこり出身で黄梅山の台所で雑用係をしていた六祖慧能が禅思想の流れを決定的に確立した人である、という伝記が明快な答えになってそうです。むしろ地位身分や性別や仕事が忙しいかヒマなのかよりも才能や感性のほうが重要であるというか・・

問うていはく、この行法は、いまの末代で悪世とも言われるこのときに、修行してもほとけに出会えるでしょうか (證をうべしや)。

示していはく、いろいろな宗派では名前や教えのカタチが違いますが (教家に名相をこととせるに)、それでも大乗と呼ばれるものの価値ある経典には (大乘實教)、正像末という三つの時代を分けた記述はありません (法をわくことなし)。修行すればみな道を得られるといい。ましてこの内側に本来持っている正しいほとけには (單傳の正法)、そのほとけの感覚に入るときは身体を意識することがなくなり (入法出身)、おなじく自分の内側にある珍しい宝を見ることになります (自家の財珍を受用)。ほとけの証しを得られるかどうかは (證の得否)、修行しないものは、自分ではわからず、水を触った人が (用水の人) その冷たさ煖かさを自然に感じ取るのと同じことです (みづからわきまふるがごとし)。(注23)

(注23) 天台系で語られる末法思想ですが、お釈迦さまの死後二千年が経過すると仏教がまったく語られなくなり荒廃した時代に突入するというもの、当時は飢饉のたびに道ばたに死体がゴロゴロ転がっているような状況もあったらしく、いわゆる社会不安をあおり一般仏教はまったく効き目がないのでうちの神さま拝みなさいというようなインチキ坊主が横行した時代でもあります。この問いのブブンは現在でも日蓮系の法華宗に受け継がれていて、いまでもこんなギロンが真面目にされてますよね。

道元さんは末法の根拠になる文献が無いと言ってますが、禅の考えそのものもこの末法否定になっていて、ほとけは時代や人の種類にかかわりなく、すべての人の内側に意識の一部としてすでに存在するけれどなかなか気ずかれないものでもあり、禅はその存在のあり方を指摘してほとけが見えるように指導してるだけなので、もともと時代や年代によってほとけが消え去ることはありませんよ。というのがその主張です。天台で言えば本覚思想にチカイもので、ハスの花はすでに目の前に開いていて、あとはそれが見えるようにトレーニングするだけです。

問うていはく、あるが人が言うには、仏法では、自分のこころがほとけである (即心是佛) という意味を理解した (むねを了達しぬる) 人は、口で経典を読むことをせず、身体でほとけの修行をすることもないけれど、それでも仏法に欠けているところはありません。ただ仏法はもとから自分の中に在ることを知っていて、これを完全な道を得たようすといいます (得道の全圓)。これの他にはさらに他人に向かいなにかを求めるべきではありません。それなのになぜ座禅などの行法をわざわざやらなけれればいけないのでしょうか (いはむや坐禪辨道をわづらはしくせむや)。

示していはく、このことばは、もっともであるけれど危うくもあり (もともはかなし)。もしあなたが言うようであるならば、こころないことで、だれもこんな話を (むね) 教えなければ、知ることもなかったでしょう。 知るべきで、仏法はまさに自他の区別という見方をやめて学ぶものです。もし自分こそほとけであることがわかった (自己佛としる) としてそれが道を得たことであるならば (得道)、お釈迦さまがその昔かん違いのものたちにわずらわされることもありませんでした (釋尊むかし化道にわづらはじ)。そこで少しの間むかしのおもしろい話を使って (古の妙則をもて)、このことを説明したいと思います (證すべし)。(注24)

(注24) 自分が仏であるというのは完全にリクツと理性の領域であり、俗物感覚を一歩も出てはいません、でもその一方では仏教もただの定義でしかなく、自分が消滅した感覚にとりあえず 「ほとけ」 という名前をつけただけ、というカンジもしますけどね

むかし、則公監院という僧が法眼禅師の指導を受けていましたが (會中にありし)、法眼禅師が質問して言います 「則監寺さんは、あなたがこの寺に居てどのくらいのときがたちましたか? 」
則公 「わたしがあなたの寺に来てすでに三年です 」
法眼 「あなたはまだ若いのに (これ後生)、なぜいつもわたしに仏法について質問しないのですか? 」
則公 「わたしは和尚をだますことはできません。かつて青峰禅師のところにいたときに、仏法において安楽の法門と呼ばれるところにすでに理解して到達したのです (了達)」
法眼 「あなたはどんな言葉によって、その場所に入ることを得たのでしょう 」
則公 「わたしはかつて青峰和尚にこんな質問をし、『ほとけを学んでいるひとの自分の本体とはどんなものでしょうか? (學人の自己なる)』 青峰和尚は言いました 『火の兄と火の弟である二人の子供がやって来て、火を探しているところです (丙丁童子來求火)』」
法眼 「良い言葉ですね。ただしおそらくはあなたはそれを理解してはいないでしょう 」
則公 「丙丁は火に屬すものです。火をもって来てさらに火を求める、自分で自分を探していることに似ていると理解しました (自己をもて自己をもとむるににたり)」
法眼 「よくわかりましたが、あなたはわかっていないようですね。仏法がもしそのようにカンタンなものであるならぱ、今日まで伝わってはいないでしょう 」

ここにで則公は怒ってしまい (懆悶)、ずぐに寺を出ていってしまいます。しばらく行ったところでふと思うには (中路にいたりて)、法眼禅師は天下に聞こえた大和尚です (善知識)、また五百人もの僧侶をみちびく師匠でもあり (大導師)。わたしが間違っていることを指摘するのは (いさむる)、きっとそれなりの正しい理由があるのだろうと (長處あらむ)。法眼禅師の寺に (みもと) に帰り、お詫びと礼拝をし (懺悔禮謝) そして質問します、 則公 「いかなるかこれ學人の自己なる 」
法眼 「丙丁童子來求火と 」
則公はこの言葉の中に、納得するものがあり、ほとけを理解することができました (おほきに佛法をさとりき)。(注25)

(注25) この禅話のポイントは、火の兄→火兄 (ひのえ)→丙、火の弟 (ひのと)→丁、という丙丁の二人が自分たちの本体である火を探しているという物語、則公さんは火の兄弟を一人としてまとめてしまっているのがミスと思われます。

火を探すのなら、兄は弟をみればよく、弟は兄を見ればよいだけ、というのが正解でしょうけど、そもそもあちこちと探しまわる必要がない、というとこまでは則公さんも当たってたようですね。たとえばカーブミラーで横道の車を確認するようなもので、ほとけという対象物は直接見ることができないという 「リクツ」 を言ってるわけで、それはなぜかと言えば・・

あきらかにわかることは、自分の内側にほとけがあると理解したことで (自己即佛の領解をもて) 仏法がわかったことにはならないということです。もし自分という意識がある状態を仏法と定義するならば (自己佛の領解を佛法とせば)、法眼禅師は最初に出た言葉のくり返しで (さきのことばをもて) 指導することはなく、またこの問答のように戒める必要もありません。ただまさに言えることは、最初から良くできた話を知っているよりは (はじめ善知識をみむより)、修行のルールを一問一答して (儀則を咨問)、ひたむきに座禅をし考えて (一向に坐禪辨道)、生わかりの状態にとどまらないようにしてください (一知半解を心にとどむることなかれ)。仏法のふしぎなおもしろさは (妙術)、それはカラッポではないのです。(注26)

(注26) 自分がほとけと思うのはマチガイだという話はちょっとレベルが高過ぎたので、あまり最高レベルの言葉とかに執着しないで初歩から地道にやってください、というカンジ、仏ってちゃんと存在してますよ、みたいな・・

問うていはく、乾元 (758-760年) といわれたころの唐の国のようすをひもとくと (乾唐の古今をきく)、あるいは竹の声を聞いて道をさとり、あるいは花の色を見てこころのようすを明らかにするものがあり、いうまでもなく、お釈迦さまは (釋迦大師)、明星を見て道をあきらかにし (證し)、阿難尊者は、はたざお (刹竿) が倒れたときにほとけを (法を) あきらかにしたのみならず、六祖慧能の後も (六代よりのち)、五家に分かれていたころにも、たった一言で (一言半句のしたに) ほとけの感覚を (心地) 表現したものは多く、かれらはかならずしも、かつて座禅やそれにともなう行法 (坐禪辨道) をしたものだけではありません。

示していはく、古今に現象世界を見てほとけの在り様をあきらかにし (見色明心)、音でない声を聞いて道がなにか理解したまさにその人は (聞聲悟道せし當人)、ともに仏教のやり方に疑いをはさむことなく (辨道に擬議量なく)、意識の中にもう一人の別人はいないことを知るべきです (直下に第二人なきことをしるべし)。(注27)

(注27) 座禅でない方法でわかった人もいますが? という質問で、これはあいまいというかちゃんと答えてません、仏教のやり方はいろいろあってべつに座禅でなくてもほとけはわかるわけで、座禅は有効ではあるけれど、座禅だけやるのがサイコー! というカンバンに足をひっぱられてやや苦しい印象です。

それと 「直下に第二人なき」、は世界を見ている自分をもう一人のクールな自分が見ている、というよくある表現の否定なんですけど、このもう一人の自分である第二人を意識の中から消すために具体的にはどうやるんでしょうかね?

問うていはく、インドや中国では (西天および神丹國)、ひとびとは素直な性質を持っていて。中華という文化レベルの高さにも助けられ、仏法を教え指導するのに (教化)、とてもはやく理解しなじむことができます。ところがこの日本は (我朝)、むかしから人々に義理のこころや知識そのものが (仁智) すくないので、正しいほとけの教えがなかなか伝わりません (正種つもりがたし)。文化が遅れていることによるもので (蕃夷のしからしむる)、ザンネンなことです (うらみざらむや)。またこの国の出家者たちは、南宋の坊さんでない仏教のもの (大國の在家人) にも劣っていて、世の中すべてが考えのない風潮で (擧世おろかにして)、自分のコトしか考えませ  (心量狹少なり)。じっさいにある利益にのみ深く執着し (ふかく有爲の功を執し)、目にはっきりと見える善行だけを好みます (事相の善をこのむ)。このような人たちが、たとへ座禅したとしても、たちまちにしてほとけのあり方を (佛法) 明らかにしてそれを得ることができるのでしょうか (證得せむや)。

示していはく、言われるとおりで、わが国の人たちには、いまだ義理も知識も (仁智) 行き渡っているとはいえず、人々はまた混乱のなかでまわり道をしています (迂曲)。たとえ正しく伝わったほとけの教え (正直の法) を説明したとしても、その心地よさが (甘露) 却って毒となってしまいます。名声や現実の利益に気持ちが向いてしまい (名利)、迷いや執着を取り除くことがむずかしく (惑執とらけがたし)。そんなようすではありますが、ほとけを明らかにしその世界に入ることは (佛法に證入)、かならずしも世の中の知識ある人として立身出世の道具とするようなものではなく (人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず)。お釈迦さまの生きていたころにも (佛在)、てまりをつくたびに四つのレベルをクリアしてほとけがなにかわかり (四果を證し)、袈裟をかけて坊主の真似をしただけなのに大道を明らかにし、ともに愚かで仏法にも暗い人たちでもあり、乱れた動物のような生活をしていたものたちですが (癡狂の畜類なり)、そんなであっても正しく信じるこころに助けられ、迷いをはなれる道に行き着いたという話です。また良くわかっていない年寄りの坊さんが座禅をしているところを見ただけで (癡老の比丘默坐せしをみて)、おときを運んできた信者の女人がさとりを理解した話もあり (設齋の信女さとりをひらきし)、これは知識によらず、文章にもよらず、言葉にたよることもなく (またず)、説明を必要ともしませんが (かたりをまたず)、結局これらが正しい確信に助けられるということになるです。

また、お釈迦さまの教えが世界中に (釋教の三千界に) 広まったことは、わづか二千余年のあいだのできごとであり (前後なり)。仏教の広まったおおくの場所は (刹土のしなじななる)、かならずしも礼儀正しく知識の行き渡った国ではないし (仁智のくににあらず)、人もまたかならずしも利智聰明のみの人だけではなく。そうであっても、お釈迦さまの正しい教えは (如來の正法)、もともと不思議な功徳を (大功徳力) を備えていて、そのときがやってくれば仏国土としてひろまります (刹土にひろまる)。人がまさに正しい確信をもって修行すれば、頭の良し悪しにかかわらず (利鈍をわかず)、みなひとしく道をえることになり (得道)、わが日本は (朝は) 礼儀も知識もまだまだの国ですが (仁智のくににあらず)、そこに住む人たちの知識や理解が足りないからといって、仏法を理解できないと思ってはいけません。まして、人はみなほとけの智慧が内側に充分備わっていて (般若の正種ゆたかなり)、ただそれを意識したことがないために (承當することまれに)、その使い方もいまだにわからないということなのです (受用することいまだしきならし)。(注28)

(注28) 当時仏教や一般文化のまだまだ遅れていた日本に、あたらしい風を吹き込む意気込みのようなものがヒシヒシと伝わってきてなかなか良いカンジのところ。この仁智少ない日本の人たちに、中国の高い文化である礼儀や智慧を根づかせたいという思いは現在の永平寺にもカタチとしてよく残ってるんでしょうね、たぶん、というか行ったコトないので想像ですが・・

ここまでの問答を行き来して、客とあるじが交じり合ったように込み入っていますが (賓主相交することみだりがはし)。多少でも、花の無い空中に花が咲いたことがわかるでしょうか (はななきそらにはなをなさしむる)。そうは言っても、この国は座禅のやり方において (坐禪辨道におきて)、いまだその教えの意味は (宗旨) 伝わらず、知らなければ志すことも無く (しらむとこころざさむもの)、ザンネンに思うことです。こんなわけなので、いささか外国で (異域) 見聞きしたことを集め、ほとけのわかる師匠の解説を (明師の眞訣を) 書きとめる事で、修行や勉強をしたい人たちの知りたい気持ちに答えたいのです (參學のねがはむにきこえむとす)。このほかにも、禅寺の規則や (叢林の規範) 寺のあれこれ (寺院の格式)、いま解説しようとしたいけれど時間がなく、またそのうちに (又草草) やってみることにします。

おほよそわが日本の国は (我朝は)、中国からみれば龍が住むといわれる東シナ海のさらに東に位置し (龍海の以東にところして)、雲や煙がはるか遠くに見えるような位置ではあるけれども、欽明天皇 (539-571年) や用明天皇 (585-587年) のころより (前後より) インドではやや廃れてきた (秋方) 仏法がすこしづつ東に進みます (東漸する)、これはすなはち日本の国の人にとっては良いことであり (さいはひ)。そうではあるけれどやり方がバラバラで (名相事縁しげくみだれて)、修行するところでつまずいてしまいます (わづらふ)。いまはやぶれたころもに割れ茶碗を (破衣綴盂) 生涯の友として、青巖白石という湖のほとりに茅ぶきの庵を結び、きちんと座り修行を怠らなければ (端坐修練)、ほとけのレベルに上がることが (佛向上の事) たちまちにあらわれて、生涯かけて知りたかった真実が (一生參學の大事) すみやかに理解できる (究竟する) ことになります。これはすなはち龍牙和尚のいましめであり (誡敕)、鷄足和尚の家風のようなものです (遺風)。その坐禪あれこれの規則は (儀則)、少し前の嘉祿のころ (1225-1228年) 撰んで集めたものを普勸坐禪儀に示したのでそれを参考にしてください (依行すべし)。

ありがたくお礼をし (曾禮)、仏法を国中に広め流通させることは (弘通)、国王の命を (王敕) 待たなければいけないけれど、ふたたび靈山でお釈迦さまから迦葉に受け継がれたものを (遺囑) 思えば、いま百萬億の国土に (刹) 現われ出でたる王様と貴族が手をたずさえ (王公相將)、みなともに感謝しながらほとけの示したものを  (かたじけなく佛敕を) 受け取り、子供のころから (夙生に) 仏法を護り維持するキモチを (素懷を) 忘れずに、ずっとやって来たものです (生來せる)。その変化が行き渡って栄えれば (化をしくさかひ)、どんな場所であっても仏国土でない場所は無く、このために、お釈迦さまのやり方を (佛祖の道) 流通させるのです、かならずしも場所を選んできっかけを (縁) 待つ必要が無く、ただ、今日からはじめようと思うだけです。

そうであればすなはち、こんな人たちを集めて、仏法が広まることを願う考えの深い師匠たちにも (哲匠)、いっしょに道を探し (あはせて道をとぶらひ) 諸国行脚の人たちを (雲遊萍寄せむ) 集めて学ぶための中国からのお手本として書き残します (參學の眞流にのこす)。ときに、

喜ばしいことで、1231年八月十五日、南宋から仏教の法を相伝された坊主である、道元が書きました (喜辛卯中秋日 入宋傳法沙門道元記)

辨道話  (注29)

(注29) 日付にあるように、これは二十八歳で南宋から日本に帰りついた道元さんがその後三年の間をおいて三十一歳のときに書いたもののようで、日本仏教界に新風を吹き込もうとする気鋭の若い坊さん、といったカンジですね。ただし道元さんに関しては天童山の修行が三年だけのスピード印可だとか、まだ駆け出しだったりなんで、一部コナれてない箇所があったりもするけれど、それでもこの内容の濃さは当時一般的だった坊さんのレベルを圧倒してるのも間違いなく、これは師匠の天童山如浄禅師のものなんでしょうね。この如浄禅師からさらに何代かさかのぼると、従容録 (しょうようろく) を編さんした宏智 (わんち) 禅師という名人師匠に行き着きます。正法眼蔵は臨済徳山系列とはかなりフンイキちがってて、独特な天童山フレーバーでもあり、かなり切り口の違う禅宗文献といってよいと思います。




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